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Channel: 英国式自転車生活
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旅慣れて

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若いころはずいぶん旅慣れていて、スタンドバイ・チケットで、突然安いチケットを手にして、数日でいきなり英国へ戻ったり、英国からヨーロッパへ行ったりしていた。つまり、1~2日でカバンを、スーツケースを持って、ひと月でも半年でもいなくなってしまう(笑)。

家の者からは『行き先と、行き先で果てた時、誰に連絡をしたらよいのか連絡先ぐらいはおいておくように』言われていた。5人ぐらいの名前と電話番号を書き残して、『あとは、おまかせ~♪』だった(笑)。

ヨーロッパまでとどく『鉄砲玉』、『糸の切れた凧』だからどうしようもない。


考えてみると、何もたいして持って行かなかった。古い革靴を半ダースばかりスーツケースに入れ、英国の馴染みの靴屋に直させていた。当時、英国だとオールソールで底をやり直して5000円するかしないかだった。まあ、『イヌのように古靴をカバンに入れていた』(爆)。着るものは現地ですべて買っていたし、洗面道具も何もかも現地で買うので、何も持って行く必要がない。

当時のとーきょーぎんこーは、私がハンコでなく、サインを登録していたのに難色を示し、しつこくハンコにしろと言ってきていた。『もしお客様が、とつぜんみまかったりされた場合、ごIZOKUのかたが引き下ろすのにたいへん面倒なことになるおそれがあります』と言っていた。余計なお世話だ。『私がハンコを使わないことには4つの理由がある。1)今の時代ハンコを写し取り複製するのは容易だ。2)ハンコを持ち歩くのは無用心だし、とっさの時に取りに戻るのは時間の無駄だ。3)自分は貿易の数千万円のレター・オヴ・クレジット(信用状)でもサインひとつでやってきた。4)近いうちにみまかる予定はない』(笑)。

どうなんですかね。『旅先』であるとか、『万が一の時』、使えるものは頭の中のものだけ、なのではないか?いくら調べても、自分の中のものでないものは使えない場合がほとんどだ。

『旅は人生の即興演奏』であるところが面白く、また、『即興演奏をするためにゆく』ものではないのか?

現代では、ネット上にころがっている情報は、ほんとうの意味では貴重な情報ではない。誰にでも手が届く『眼垢のついた3番手情報』が大半だろう。だいたい、私のブログは5500ページもありますが、私がどのくらいの周期でチェンに油をさし、どこの油を使っているか?英国のチェイタ・リーやBSAのヘッドセットのインチサイズのベアリングを日本ではどこから買っているのか?どこで革ベルトの金具を調達しているか?など一言も書いていない。


そういうことは、『即興演奏で探せる』ということが重要なわけで、スマホ頼りでは情けないはなしだと私は思う。そこに引っかかってこないところを探すのが面白いのだから、旅先で私は一切検索などかけない。

この歳になると、『自分とは何か?』ということを考えざるを得ない。それは生まれてこのかたの、すべての体験と経験の集合体なわけで、それは、誰にも話さない自分の感情の動きすらも『一種の体験として積み重なっている』。逆に言うと、人知れず自分が行ったこと、考えたことや、その時の気分も蓄積されているわけで、それらは、どうやってもその人の雰囲気として表へ滲み出してくる。

この日常生活の積み上げは誤魔化しようがない。芸術関係の人が芸術関係の人を鋭く見抜くのは、『日常的に芸術作品に深く感動しているような生活をしている人は、その精神生活が、言動や表情に滲み出てくるものからわかる』からだ。これはいくら、評論集を読み、月曜美術館とか無の巨人とかを観ても、感動していない知識のミノムシは見破られる(爆)。

『スマホ・クラウド脳』の人(脳は自分の頭以外の場所にある、笑)や『怪人グーグラー』はこのミノムシ人間になるのが得意だ(爆)。


旅先で誰かに初めて会うということは、この『滲み出しているもの』で道が切り開けるかどうか?だろう。昔は私は宿も決めずにいきなり行って泊まる場所を探した。これは海外でもそうだし、今の私の国内の定宿もすべてそれで見つけた。そこで、『ネット上の評判から』というのは、ちょっと考えられない。

その昔、ジャン・コクトーがカフェで、つぎの舞台の舞台装置の美術をやってくれる人の相談を受けていた。その人は、なんとしてもコクトーにやってもらいたかったのだが、彼は忙しいからと固辞していた。その時、『あそこに座っている、あの彼に頼んでみたらいんじゃないかな。』とコクトーが言った。『ジャン、君の友人かい?』『いや、今初めて見たのだが、名前も知らない。』『それはあんまりじゃないのか?君は彼の仕事や作品を見たのかい?』『いや、名前も知らないし、彼の作品を見たことも無いんだが、自分の芸術家としての直観から、彼は間違いなく画家か芸術家だと思う。彼の顔は私の芸術家としての期待を裏切らない仕事をしている人だと思うよ』。

誰あろう、その人こそ、20世紀を代表する彫刻家で画家となったアルベルト・ジャコメッティだった。コクトーはカフェで、さえない顔で茹で卵を食べながら珈琲を飲んでいる彼を見て、作品も見ずに彼を推薦したのだ。


旅先は、そうしたチャンスを試す絶好の場でもある。感動を積み重ねて行くことこそが重要で、『ああ、そこも行ったよ』というインスタばえする知識のミノムシをやっても仕方がない。それを切り開く旅の道具というのも、おのずから風情をつくるものでありたいと私は思う。

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