たぶん、これは日本本来の姿ではないのですが、マスタープラン無しに、いつのまにか物事が決まっていて、それがじつに長期的、論理的に考えておかしな風に決まる。
私は社会人になる手前から、今日に至るまで、その不条理、不合理と戦ってきたようなもので、今ぐらいになって、『いや、もう自分は年齢的にもそういうことを続けている歳でもないから、あとは若い連中でやってくれ』という気になっている。
ヘンなたとえだが、40代は軍人ならヴェテラン。60,70代で軍人をやっているのは提督とか元帥とか、かなりな立場でしょう。
ゲーテも言っているように、『これからあとは空騒ぎ』、60,70,80代は『いつ突然終わるかわからないおまけの時間』なのです。
さて、昨日、私の友人があるブログで、千葉の沖合での地殻の動きがスロースライドとかいろいろあるらしい、もし津波が来たら千葉は意外に平坦なので、けっこう奥まで水が来るかもしれない、ということを書いていた。
私はそこで、千葉の県立美術館は海抜3mとか5mとかだ、という話を書きこんだ。
なんで、私がそんなことを知っていて書きこんだかというと、私の絵の師が、自分がなきあと、所蔵する絵画や美術品はすべて上野の都美術館へ寄贈すると言っていたことと関係がある。たぶん、そのあたりの事情を知っている美術館関係者も画家も、みなさん鬼籍に入って、多分知っているのは、私が最後だろう。
私の先生は『千葉は絶対にイカン。あそこは万が一の時、津波でやられる。そもそも行くのに不便でみんなが見に来られない。都美術館は新しく綺麗になったし、図書館も立派なのが付いている。上野は丘だし、関東大震災の時も、みんなが逃げた場所だから、上野の都美術館なら安心だ。』と言っていた。
ところが、美術評論家とか、さまざまな人がうごめいて、結局、作品は千葉の県立美術館に行くことになった。先生は寝たきりで、なすすべ無し。そのとき、私は千葉県立美術館の立地を調べたら、まさに港の波打ち際と言ってよいような場所で、正直、なぜそういう場所で貴重な美術品を保存しようとしたのか理解に苦しんだ。
『なぜ、成田の国際空港から降りて、ジェット・ラグを補正するのに、一休み、お寺を観たり、美術館を観たりというように、成田に作らなかったのか?ちょっと理解に苦しんだ。
こういう『七不思議』はいたるところにある。地学の世界では琵琶湖は長い時間をかけて、北上してきたことがわかっている。やがては海とくっついて、琵琶湖は巨大な湾になると予想されている。それがどのくらい先のことかはわかりませんが、世界の地形の例から見ても、意外に早い可能性もあります。
ところが、まさにその海との境目のあたりがゲンパツ銀座になっている。これも理解を超えている。
海辺の海抜5m以下のところで美術品を保管し、やがては巨大な湖が迫って来るあたりにゲンパツ銀座をつくる。東日本大震災の時、友人と、
『もし、為政者が安土桃山時代の武将だったら、津波でやられたら困るような原子炉みたいなものを海辺に建てるなら、まず城の石垣でも作ってその上に置いたんじゃないかね』という話が出た。
あまり話題になりませんが、東京から新幹線に乗っていると、けっこう海岸線ギリギリのところを走っているところがある。あそこが津波でやられたら、復旧は年単位になりはしないか?だとするならば、いまの新幹線の3倍電気を喰うと言われているリニアより先に、第2ルートを確保して現行のものとほぼ同じぐらいのものを作るのが先なのではないか?
『地上で飛行機を飛ばすような速さ』のものが、果たして地震、大雨、洪水、台風などの天変地異の時、高い信頼性で運転できるのか?
リニアのレールは、太陽嵐の時、ほぼすべてが壊れて、全交換することになるのではないかな?レールのものであれば、ディーゼル・エンジンの動力車で暫定的に客車を引っ張ることも出来るから、作ったレールは無駄にならない。
実際の話、日本の会社が、『これ幸いと、英国の列車の電化に商売上でからんだとき』、トンネルの中を電線とパンタグラフがうまくくぐれないとか、さまざまな問題が生じた。あげく、増える電力使用のために,ゲンパツへの依存がやめられず、最初は自分たちは脱原発をうたっているドイツが英国に核発電所をやろうとして、大反発を買った。そのあとに日本が入ったわけだが、これは長期的にみて、やがては問題を生み出すと私は考えている。
巨大な状況表示盤をコントロール室においてコンピューター制御。すごいことのように見えるが、大きい太陽フレアが地球へ向かって放出されたら、18時間ぐらいで、『全部品要交換』という状況になるだろう。
ゲンパツも同様で、コンピュータの制御は出来なくなり暴走するだろう。そうなったら、狭い日本でどこへ逃げるのか?海外へ逃げるにしても、異文化,異言語の社会で生活できるほどの語学力はあるのか?そもそも、大量のディアスポラ状態で、どこへ逃げるのか?どこが受け入れてくれるのか?
観念して、座して終わりを待ちますか?その時、果たして、現代日本の生死観と思想背景で、どのくらいモラルが守られるか、そこのところも問題となるだろう。
こうしたこと、じつは、黒澤明監督の『夢』のなかでもこれに類することが出てきます。まだ観たことがない方にはお薦めしておきます。