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Channel: 英国式自転車生活
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モテ期のための自転車

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この週末で嫁入りした自転車やら、防犯登録やらでよそへ行った車両を見たのですが、まあ、自分の自転車の分身みたいなものですから、カタチも色も相似形。心中は複雑です。


そこへさらに、大メーカーが色までパクッたのがあるので、なんだかな、という気分なのはいなめない。


『自分はそろそろ違うのに乗りたいな』と正直思う。そもそも、私は『作り損じ』を自分用にしている。


TZさんといえば、スパッツの上に着物で自転車のトレンド・セッターだったわけですが、同じように昭和の自転車に和服で乗るという彼女のスタイルのコピー人格が現れて来ていて、心中複雑だと言っていた。

『すべての人を彼岸に渡して、自分は最後に』というようなことは、自分には無理だなと思う(笑)。

シャネルは、どんどん真似する人が出てくればよい、その中で自分がさらに上の一番いいものをやっていればいいだけのことだ、と言っていた。

フルッチョ・ランボルギーニがミウラの生産をやめる時、『まだ売れているのになぜ?』とみんなが訊いた。それに対して、彼は、オレがこういうのに乗りたいと思って作ったものなのに、路上で同じものに遭遇するのは愉快ではない、と答えていた。これは多くの人が感じる複雑な感情だろう。

W.O.ベントレーですらも、最後は8リッターのサルーンを自分自身のために作った。

『先のこと』を考えたら、私が最も年長なわけですから、多少は自分用の車両のことを考えなばならない時期に来ている。また、後発の真似物を振りちぎるうえでも、自分用の次を作る必要がある。


じつは、28号は『入手可能な部品』とか、将来的な部品の入れ替えとか、さまざまな点で『現実的な落としどころ』を考えて作ってある。ほんとうに、非妥協で、自分一人のためのものを作るならまったく違う答えの出し方がある。


私が何かのはずみで倒れるようなことになれば、私の頭の中のものは実現しない。それは、のちの人のために『解答例』としてまとめておくかな、と考えている。

週末に自転車界のさまざまな人たちの『近況』を読ませてもらった。ある人は癌に倒れた有名選手の競技車両にアップハンドルを入れたりしている。それはフレーム設計がまったく違うからおかしい。自分が乗って具合がよくなくて、第三者がみて、うなるカッコよさでないなら、どこにポイントがあるのか?

ある人は70歳に届かんというのにロードに乗り、『老化に抵抗する』という。しかし、どうですかね。久しぶりにその方の写真を見たが、『むしろ、急速に老け込んだように見えた』。

これは55歳以上で、かなり負荷の高い運動をしている人は、しわも多く、歳より老けている感じがする。緊急時の危険回避体力が維持すべきものなのは認めるが、それは、ただ負荷の高い運動をすればよいものでもないだろう。私はロードレーサーに今はまったく乗らなくなったが、それでも、駅で6階ぐらいまでのところへ休まず全力で駆け上れる。たぶん、『体力維持には、毎日自転車に乗り、坂を息が切れる程度にゆるく登っている、普通のペースで充分なのだと思う。

マラソンの女性の選手やバレエの人は、体力はあっても、しわが多く老けて見える人が多い。また、マラソンの選手が長命かというと、そうでもないようだ。

私は最近『高齢でモテ期が来るライフスタイル』とか『高齢者がそれで生活するとモテる』というような自転車を考えている(笑)。

これは、うちへたまに見に来る方のブログで、『高級なスポーツカーを買って所有すると、女性がむらがってきてモテる』というのが、ひとつの『もくろみとプランとしてある』のだが、いざやってみると、むさくるしい男がむらがってきて、『自分もこういうのが欲しい』みたいな現実で終了するという話で、これは正しいと思った(爆)。

自転車界で1台120万円とか150万円とかいうのをたくさん持ってモテないひとはたくさんいらっしゃる。そういう路線をやるほど、カルマがたまるのかどんどんモテなくなる(爆)。

これは違うところを追及していると言えるのではないか?面白いことに、私がたまに行く喫茶店には工房がくっついているのですが、私が『仙人クラウド』で行くと、私と言葉を交わしたことがない女性従業員まで表へ出て来て自転車を見ている。

多分、多くのマニアは、カッコよく見せようとして見当はずれの努力をしているのではないか?

かつて、私がバルケッタで東京駅まで乗って行き、自転車マニアと待ち合わせた時、彼は自転車雑誌にも出たモーターサイクルのデザイナーなのだが、おばさん2人が『あら綺麗な自転車』と言った。彼はすかさず『どっちが?』と訊き返したのですが、おばさん2人は『こっち』と言って私のバルケッタを指さした(笑)。

不思議なもので、路上で20代、30代の女性に呼び止められることも珍しくない。

私の古くからの友人で、銀座の表通りで長年店長をやっていた人がいるが、彼曰く、『ハンドバッグの取っ手が1cm長かったり、短かったら、売り上げがものすごく変わるのだ』という。女性はそういうところが見える人の割合が高いと私には思える。


『すごいクルマだな、とか、すごい自転車ですね』という反応は男性のもので、女性はそうしたモノ的なことがらには微動だにしない。もっと別の繊細さなのだ。

私はこういうことはじつに面白いと思う。これはモノばかりではなく、その人が放つ言葉や雰囲気、全体にもかかわることだと思う。

私は、まわりにいる人で、50歳、60歳、70歳で、いよいよモテるようになった人たちを、男性も女性も知っている。『老化と戦う』ことよりも、『老化していよいよ底光りしてきて、体力もほどよく残っている健康で魅力的な人』をみんな目指すべきなのではないのか?

自転車も、当然、そういう観点からゆけば、30代、40代の人の乗るものと同じで良いはずがない。50,60,70、でしか乗れない、中高年ならではのうらやましくなるようなライフスタイルの反映と、それまでやって来た趣味性が反映された風格のある自転車というものが当然あってよいはず。

さらに言うと、『人は見えるものだけをみているわけではない』。その人やものの、深みのようなものは、意識しなくても必ず出る。ある喫茶店で、たまに見かける店員と、その人がいると雑談した。たいていは世間話なのだが、何か『発しているもの』があった。それが何だかはわからずに3年ほどの雑談関係。それが先週、はじめて、その人がきわめて珍しい楽器をやっていることがわかった。それは私と因縁あさからぬ楽器なのだ。むこうも、その偶然に驚いていた。

私はそれは、その人の物腰、持ち物、着こなし、すべてで発散していると思う。その見えざるものがますます力を持ってくるのが50を過ぎてからではないのか?男も女も、50歳を過ぎてから来るモテ期は面白い。その時に頼りになる相棒は自転車であって、エンジン付きではないと私は考える。

左端の写真の茶碗と茶托の組み合わせは、色のアルモニーは正しい。茶碗はあと6~8mm大きくないとバランスが悪い。私は自転車では、ほぼ、すべての細部でそういうことを考える。

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