ニュースによると、或るこども向けのマンガがモンゴルの人たちをひどく怒らせたようだ。どんなものか、私も電子版の試し読みで見てみました。ちいさいころから、こういうソフトウェアを脳にインプットされていたら、親も教師もただ持て余すこどもになり、最後はそのこども本人の将来に帰って来るだろうなと思った。
このマンガのよろしくないところは、「教師が世論に叩かれたらどうしよう?」とおどおどしている内心の弱みを徹底的にあばきながら、悪いことをしているこどもの自己合理化をはかるストーリー展開にある。作者はおとなの反逆で面白がっているのかもしれないが、ある意味、それを面白がって育つこどももいい迷惑という感じがする。改心したように見せながら、それに感動した教師をまた手玉に取るという、ひとのこころをおもちゃにするのがやたらに出て来て、私は強い反感を覚える。
こういう人間関係の起承転結を、マンガをとおしてパターン認識して育ったこどもは、これを応用して将来どういう人間関係を作るのか?
「それはおとなになってからの行動に影響を及ぼさない」という人いるかもしれませんが、私はそうは思っていない。ここ10年ばかりで、驚くほどの『とーさつ男』が逮捕されたが、それは、世代をよく見ると、テレビの『活劇』や『戦隊もの』(我ながら古い言葉だ、笑)のヒロインがマイクロミニをはいて宙返りしたり、飛び蹴りしていたのを見ていた世代が多い(笑)。私はそういう話をニュースで聞くたびに『世代チェックをしている』(笑)。あとはなんだか妙に江露い女性の亜似芽のヒロインによって育った世代。それが『不可能を可能にするようなコンパクトなお道具が出来て、とーさつに及ぶ人が激増した』と私は見ている。
今の60~80歳は『夢のような乗り物や服装で、正面玄関からお願いした』(爆)。こっそり写真で撮って『ヴァーチャルなものを集める』ような淫靡な発想はない。こどもの時代の発想、行動パターンの学習は重要なのだ。
私は今回の出来事で、かつて日本のテレビの仕事の人が、トルコで起こした騒動を思い出した。それまで日本は彼の国で何一つマイナスな印象を持たれることのない尊敬される国だったが、そこで観客の大ブーイングを受けてZENRAで踊った男がいた。私がいまだに腹立たしく思い出すくらいだから、あの事件を観たり聞いりしたトルコの人たちも一生忘れないだろう。
トルコの人たちは面白いどころか、おぞましいトラウマとなるくらい嫌悪感をもったに違いない。
今回のことも、モンゴルの人たちは長く忘れないだろう。
明治の人たちは、森鴎外はモテまくり、貞奴もパリで引く手あまただった。それは彼らの持っていたマナー、才能、人品、すべてがヨーロッパの人を圧倒したからだ。江戸から続いた教養も道徳もモラルも立派だった。
最近は、若者が海外へ出る人口が激減している。伝統の中の良いものも次第に薄れ、教育図書を出している出版社のもので、今回のことも起こった。こういう中で育ったことが、ソーシアル・インパクトをもって、表面に出て来て問題になるのは15年後、20年後だろう。その頃には木造で50畳の広間のある日本建築を建てた経験のある、建てられる人もいなくなり、そのほかの多くの伝統的な技も、料理の味も消滅しているだろう。
笑いも共感も、海外の人からむっとされて、「It is not mutual.」と言われて終了になったら、島国は困るだろう。
アップした写真は、すべて、ここ3年ばかりで消滅した店のもの。惜しい店をなくしました。