私の世代、つまり団塊世代真っ只中から前半にかけてですが、気の早い人はもういなくなってしまっており、残された人たちは、そこそこ健康な人、少しは不調を抱えてだましだましうまくやっている人、車椅子や寝たきりなどの人、さまざまです。ある意味、『一生マラソンで集団がばらけてきた』ように見える。
いま勝っている人も、これからわからないわけで、ゴール前での逆転とか、あるいはゴール出来ないということも十分あり得る。しかし、ここまで来たらあとは『運、不運の問題で、あきらめるよりほかない』それは努力の部分・範疇を超えたことだから。
自分の場合、『自転車に乗ってウロウロしているのは、自分の観測でもある』わけで、これはむやみやたらな体力増強の運動とは少し意味合いが違う。鍛えるのと維持するのは別のことだ。鍛えようと思って身体を壊す人をたくさん見てきた。鍛えようとして坂道を1日3本全力で登ることをやっていた人が、歩けなくなって、ついに手術を繰り返し、術後がよくなくて膝に細菌が残ったとかで、そのためにまた手術、、などとやっているうちに、通常の歩行も困難になって、全体の体力・体調も良くなくなった人を知っている。
これは、何億円も稼いだレースのチャンピオンでもそういう人がいる。
私は去年の後半はかなり反省した。ひたすらにとばして制作をすすめ、ヤスリをかけて金属粉を吸い込み、実際、親しい人には『もうアウトかもしれないから、これは君にやる』とかやっていた。呼吸器の具合が悪くなるというのはつらい。『息を吸っても充分に酸素がとれない感じ』。『肺の中へ枝分かれしてゆく、どの枝の部分が荒れているか、わかるくらい金属粉、揮発薬品と金属に肺をやられている感じ』をひしひしと感じた。寝ている時も、その不調からくる寝苦しさはひどいものだった。
これは、ホイールを自分で組むことはおろか、自転車も組めず、ヤスリもかけられない人には一生わからない。このあいだ塗師に会った時、またすこし呼吸がゼロゼロしていた。みんな職人はそういうところで仕事をしている。
すこしでも多く儲け、金を溜め、みんなが良いという物を買って、上昇志向を続け、最後は超高級ホームで最期を過ごす、、、そういう発想はアーチスト・アルチザンにはない。
きわめて抽象的なものを具体的なものにするのがアーチスト・アルチザンの生涯目標ですから。他人が良いと思う指針にしたがって生きるのは、自分の人生を生きることではないとそういう人は考える。
芸術家や職人の社会的な有用性は、そこに多くの人を気づかせるところにあると私は考えている。
ゴッホやルオー、レンブラントの『絵がよいことはもちろん』だが、『彼らの生き方に教わるところがある』。ピカソが『セザンヌがもしジャック・エミール・ブランシュのように生きたとしたら、彼の絵が100倍美しく描かれていても、自分には何の興味もなかっただろう』と言ったのはその意味だ。
昨日、『かんてーだん』で、お茶の先生が300万円以上出した茶碗がでていて、結果が10万円ほどだった。利休の時代の茶道具の価格は『一種のバブル』ですから。それは20世紀でもある。加藤藤九郎は的確に『大正成金茶道』と評価したが、いまだにその流れは消えていないと思う。それを追いかけるのは、『自分の外部に基準を求めること』だろう。それをまた、さらに権威者に『どのくらいの値打ちのものか?』基準数値を求めるのも、『自分の外にものさしを求めている』。
これは『情報をひたすら集め、世評のところにゆく』生き方と大差はない。インターネットはその傾向を助長したように見受けられる。禅の思想がなければ、茶道も水墨画も発展しようがなかったと私は考えるが、『外部にものさしを求めて行き、他人の評価で安心することほど、そうした日本のかつての思想からへだたったことはない』。
お茶道具を並べたて見せびらかしていたなかで、ガードが手薄で、信長公はやられた。その彼は『この石を自分だと思って拝むように』と家臣に言った(笑)。私はこのエピソードを思い返すたびに、信長公のユーモアとペーソスを感じるのだ。そんなことがバカバカしいと彼ほど聡明だった人がわかっていなかったはずがない。
今では、権威やネットの情報や物欲雑誌が信長公のように、『この石を拝め』と言っていないか(爆)。
いま勝っている人も、これからわからないわけで、ゴール前での逆転とか、あるいはゴール出来ないということも十分あり得る。しかし、ここまで来たらあとは『運、不運の問題で、あきらめるよりほかない』それは努力の部分・範疇を超えたことだから。
自分の場合、『自転車に乗ってウロウロしているのは、自分の観測でもある』わけで、これはむやみやたらな体力増強の運動とは少し意味合いが違う。鍛えるのと維持するのは別のことだ。鍛えようと思って身体を壊す人をたくさん見てきた。鍛えようとして坂道を1日3本全力で登ることをやっていた人が、歩けなくなって、ついに手術を繰り返し、術後がよくなくて膝に細菌が残ったとかで、そのためにまた手術、、などとやっているうちに、通常の歩行も困難になって、全体の体力・体調も良くなくなった人を知っている。
これは、何億円も稼いだレースのチャンピオンでもそういう人がいる。
私は去年の後半はかなり反省した。ひたすらにとばして制作をすすめ、ヤスリをかけて金属粉を吸い込み、実際、親しい人には『もうアウトかもしれないから、これは君にやる』とかやっていた。呼吸器の具合が悪くなるというのはつらい。『息を吸っても充分に酸素がとれない感じ』。『肺の中へ枝分かれしてゆく、どの枝の部分が荒れているか、わかるくらい金属粉、揮発薬品と金属に肺をやられている感じ』をひしひしと感じた。寝ている時も、その不調からくる寝苦しさはひどいものだった。
これは、ホイールを自分で組むことはおろか、自転車も組めず、ヤスリもかけられない人には一生わからない。このあいだ塗師に会った時、またすこし呼吸がゼロゼロしていた。みんな職人はそういうところで仕事をしている。
すこしでも多く儲け、金を溜め、みんなが良いという物を買って、上昇志向を続け、最後は超高級ホームで最期を過ごす、、、そういう発想はアーチスト・アルチザンにはない。
きわめて抽象的なものを具体的なものにするのがアーチスト・アルチザンの生涯目標ですから。他人が良いと思う指針にしたがって生きるのは、自分の人生を生きることではないとそういう人は考える。
芸術家や職人の社会的な有用性は、そこに多くの人を気づかせるところにあると私は考えている。
ゴッホやルオー、レンブラントの『絵がよいことはもちろん』だが、『彼らの生き方に教わるところがある』。ピカソが『セザンヌがもしジャック・エミール・ブランシュのように生きたとしたら、彼の絵が100倍美しく描かれていても、自分には何の興味もなかっただろう』と言ったのはその意味だ。
昨日、『かんてーだん』で、お茶の先生が300万円以上出した茶碗がでていて、結果が10万円ほどだった。利休の時代の茶道具の価格は『一種のバブル』ですから。それは20世紀でもある。加藤藤九郎は的確に『大正成金茶道』と評価したが、いまだにその流れは消えていないと思う。それを追いかけるのは、『自分の外部に基準を求めること』だろう。それをまた、さらに権威者に『どのくらいの値打ちのものか?』基準数値を求めるのも、『自分の外にものさしを求めている』。
これは『情報をひたすら集め、世評のところにゆく』生き方と大差はない。インターネットはその傾向を助長したように見受けられる。禅の思想がなければ、茶道も水墨画も発展しようがなかったと私は考えるが、『外部にものさしを求めて行き、他人の評価で安心することほど、そうした日本のかつての思想からへだたったことはない』。
お茶道具を並べたて見せびらかしていたなかで、ガードが手薄で、信長公はやられた。その彼は『この石を自分だと思って拝むように』と家臣に言った(笑)。私はこのエピソードを思い返すたびに、信長公のユーモアとペーソスを感じるのだ。そんなことがバカバカしいと彼ほど聡明だった人がわかっていなかったはずがない。
今では、権威やネットの情報や物欲雑誌が信長公のように、『この石を拝め』と言っていないか(爆)。