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Channel: 英国式自転車生活
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職人の人生

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ずいぶんここ2~3日、蒸し暑いので、塗師も窯の前でたいへんだろうなと、物を持ち込むのに一緒に酒瓶を2つぶらさげてゆきました。時間がないなかの移動で、ホームでも走っている状態なので、その特定の銘柄のある酒屋までタクシーで行きました。

せっかく持って行くのに、自分が納得できないものを通り道で適当に買ってゆくわけにはゆかない。

その銘柄とは「竜宮」と「司牡丹」でした。竜宮はめったに置いてあるところがない。しかし、私は竜宮の素朴ななかに気品と甘さがあるのがとても好きなのです。

この蒸し暑さで、塗師は半裸で窯の前に椅子に座って休んでいました。

物をつくるというのは、たいへんな作業です。フレームも、塗装も、キャリアを作るのも、組み立ても。いつしか、現代人は「ものは機械が作って、それはビニール袋や化粧箱に入って、手許に伝票とともに届けられる」。「自分は代金を払ったのだから、そこにわずかでもキズがあったりすればクレームをつける」という時代になってしまいました。

塗師は塗料を、たとえマスクをしていても吸い込む。マスクを完璧にしていても、皮膚呼吸で溶剤はからだに入ってくるので、内蔵にはたいへんな負担がかかります。

これはフレームやキャリアの溶接もそうで、溶接中はかなり有害な気体を吸っているわけです。私がフレームやキャリアの製造にも乗り出さないと、どうしても思い通りのものができない、とシブヤンに宣言したところ、
「思い切ったね。でも、ビルダーとかはみんなガス吸って血管系や心臓系の病気になるようだから、R&Fさんも気をつけたほうがいいよ。」
「そりゃー、有毒な気体と言うより、『納期』でせかされるストレスじゃないのか?ウエィティング・リスト20年の大権現は元気じゃないか。」
「あー、そうか。それもそうだ。」

これは、物を作る各段階で、それぞれの人が最高の仕事をするという「人間力」の総力戦が「手作り」というものの実体だと思うのです。

現代日本では、どうもすべてが「金」と「金額」に還元される傾向がありますが、たとえば塗師の仕事ひとつとってみても、自らの健康を危険にさらし、自分の人生の時間を投入して、果たして充分報われているのだろうか?と私などは思います。

もう引退したTA□の親爺さんが、夏の夕暮れ時、電信柱に上半身裸で寄りかかって、へたりこんで休んでいたのを思い出します。それでも、角を曲がってくる私を見ると、「あがってるよ。出来るだけサンプルに似せたけれど、見てくれる。」と立ち上がって工場へ入る。これはやり直してくれなどとはちょっと私には言えません。

今週聞いた話。ある大学がツアーで日本の伝統工芸の展示の店へ行ったそうです。そこで塗りの箸をみて、ある生徒が「塗りの箸に3000円は高い。もっと安いのも作ったらどうですか?」と職人さんに言ったそうです。私など、そういう学生は中国製の手許から先端まで同じ太さのプラスチックの箸を一生使っていればいい、と思います。

日本の料亭へゆけば、コースの中でさまざまな形状と持った時の重量バランスの違う箸が何種類も使われます。こういう機能と美を追求したのが世界で認められる日本のデザイン力だと思う。作る過程の手間も伝統も食文化も、すべてを飛び越えて「3000円は高い」という性根は卑しいと思う。

3000円より安くして、粗悪にしたら、よりたくさん売れて職人が潤うとでも言うのか?その粗悪なものによって漆の製品の評価はどうなるのか?「3000円は高い」と言った学生にはマーケティングの感覚も、ブランディングのセンスも欠けている。

ところが、我が自転車のほうでも、価格と言う最終結果のみを追い求めている人々がいかに多いことか。

今日行った塗師は、
「はじめて見る酒だね。かなりの銘酒の雰囲気のラベルだな。たのしみだ。一仕事終えて、風呂へ入って、ひとごこちついたら晩酌をして、良い気分になったら寝て、そういう毎日だね。それが出来なくなったら、引退してあとは死ぬのを待つしかない。」

我々がやっている自転車は、大量生産でつくられ箱に入れられて海を越えてやってくる、商売の種の自転車とは、こういう人たちの協力でやっている限り、まるで違うものであり続けられる、としみじみ思った週末でした。

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