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Channel: 英国式自転車生活
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無謀者の自信

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七人の侍の中で、なかなか意味深なシーンに久蔵が三重の搭の前で決闘するシーンがある。

豪快そうに見せている侍と久蔵が竹の枝を落としている。やがて手合わせ。相手の侍は『ハッハッハ。相打ちじゃのう』という。

相手の侍は、上段に構えたり、相手の竹をピシッと払ったり、終始「自分ほうが技が上だ」とポーズをつくっている。久蔵はクールなのです。「いや、真剣ならおぬしは死んでいる。」と分析して一言言った。

相手は認めない。

これは現代の人、とくに古い日本のしきたりを知らない人には、奥のニュアンスが伝わらないシーンではないかと思う。久蔵は刀を後ろにひき「車のかまえ」を途中からとる。相手の侍は頭上に刀を振り上げ『上位者』のやりかた。これは実力の上の人に向かってとってはいけない姿勢です。非礼にあたる。

久蔵は常に『本気』で『真剣』なのです。相手が「かけだし」であろうと、本気で相手をする。「車のかまえ」(しゃのかまえ)というのは相打ちを覚悟しているかまえです。久蔵は無礼な格下の浪人に対してでも本気を出す。何かの間違いで相打ちもやむなしと覚悟している。彼は剣の道に絶対忠誠とでもいうべき信念をもっているので、あいまいに妥協しない。思慮不足の男であろうと斬ることも辞さない。

『ハッハッハ。相打ちじゃのう。』と言った男は、まあ三重の搭があるのだから寺の敷地でしょう。数分ののちに『寺の土になった』。

私は、これに「本来の日本」をものすごく感じる。脚本家や黒澤監督は、当時の世相に「相打ちじゃのうの男」の同類をたくさん見ていたのではないか?甘えから、負けていても、見苦しく食い下がり、引き分けと認めて欲しい人たち。もう斬られまくっているのに、食い下がって来るインターネッターをよくみかける。うちでもかつて「毎日何百人も見に来ているブログであそこまで言わなくても。どうしていつものようにスルーしてくれなかったのか?」と泣き言のメールを入れてきたのがいた。それは、その人が『ハッハッハ。相打ちじゃのう』の男の同類だからだ。相打ちと認めてもらうまで食い下がってくる。現代日本の「相打ちということで適当にことをおさめる」というのは行きすぎている感じがある。座頭の『いちさん』が「いやあたしは目が見えないもんだから、斬りかかられると、こう、反射的に斬りすてちゃうしかないんです。」というセリフがあった。

守ってくれる組織と無縁の、自分の実力だけで一人で生きる『いち』さんも久蔵の同類だ(笑)。独りで行く者は、そんななあなあの『相打ちにしておきます』をやっていたら潰される。これは『給料自動振り込み』の人には決して理解できないだろう。

一部始終を眺めていた勘兵衛は、なんと愚かな、実力が違い過ぎる、とクールに分析している。相打ちサムライより勘兵衛を目指せばいいのにと思う。

どうもインターネット時代になって、発言や発信のハードルが下がったせいで、『相打ちじゃのう男』が激増しているように見える。無謀者で何も残さず寺の土になるのはつまらない。

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