Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

中にいると見えない

$
0
0
数日前、出さないといけない郵便物があって、自転車でその郵便物3通をカバンに入れて、8kmぐらいも走ってしまった。ないんですねぇ郵便ポストが。

携帯電話の普及で電話ボックスが減ったことはわかっていたが、メールや宅急便の出現でポストも減っているのは初めて知った。行けども行けどもない。結局、「くにたち」で出した。

英国時代、切手を買いためておいて、家の斜め前20mぐらいのところにあるポストに入れていた。逆にファーストクラスの手紙は、必ず朝食前に届いた。朝一番で着くのです。速達料金が別に280円かかるなどということはない。

うちのほうでは、午前中に郵便配達が来たなどということは絶えてない。

日本に住んでいて、『ああ、あれがないな』というのは『仕事の後の居場所』。一回家へ帰って、食事をして、それからパブへ、というのがまったく無理がない。生活圏の距離感がまるで違う。

どういうことかというと、「そうした社交の場が決定的に日本には足りない」。それは『どこかへ飲みに行って金を使いに行く』のではない。誰かに会うためにパブへ行くのである。

これは、テレビを観たり、インターネットをのぞくのとは違う。人がいて、人間同士の付き合いが一方通行でなくある。

日本だと『誰か友人を引っ張り出す』わけですが、これは、じつは対人間関係が同じところで固定化していると言える。今まで知らなかった人と友人に、日本のレストランや喫茶店はそのような場所になれない。『同じ固定化した交友グループで場所を変えているだけ』。お客はあくまでお客で、金を使いに行くだけ。

お金を使って気晴らしをしている。

ヨーロッパのカフェとかパブというのは、ちょっと違う。『ほんとうに良いカフェとかパブは、金を儲けるために存在しているという感じをまったく起こさせない』。

日本にもそういうところはけっこうあったのだが、ここ8年ぐらいで見る見るうちに蒸発するように消えていった。そうすると、私などは「金を使うためだけに、不満が残る珈琲を飲みに入るのは嫌だな」と思ったりする。どうするかというと『素通り』(笑)。家で自分で淹れれば良いと思う。

これは日本の社会はそうなりやすいところがあると私は考えている。たとえば、ヨーロッパの教会なら、同じ教会に来る人はみんな友人か知り合いなわけです。日本では同じ寺の檀家どうしがみんな友人ということはありえない。非常に限られた、狭いエリアで一生を送って行く人が日本にはものすごく多いようだ。

たぶん、日本の少子化や、未婚の男女が増えていることの裏にはそういう問題も潜んでいる。インターネットやスマホにどっぷり浸る人が多いのも、やはり、ある種の期待があるからだろう。

それでもやっぱり代用品にはならない。私が自転車関係のイベントを何かやっても、私とその人の交友関係は出来ても、来た人同士が横に水平でつながることはまずない。また、私が自転車関係で知り合った人を、私の芸術関係の友人に紹介することはまったくない。

これはインターネットというものの持つ特性、さらには日本の社会の傾向とかかわっているように思える。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles