自分の場合、もうほぼ一生の主要部分を働き終わっているので、はっきり感じることですが、世の中はどんどん住みづらくなっている。
ずいぶん前に、駅の売店で英字新聞を買おうとしたら、1200円ぐらいのカブ屋新聞しか置いていなくて、ビックリした。ようするに、そういうものを置いておけば、売り上げが伸びると思っている。ジャパン・タイムズもディリー・ヨミウリもなかった。重要な時には買って、そのアジアの人物が英語表記でどうなるのか、私などは確認の必要がある。それがカブ屋新聞しか置いてなかった。なんという見識の低い拝金主義か。
ロンドンなら、日本の新聞が日遅れでなく、当日の日付で普通に買えた。
私の定宿の支配人が「London is the capital of the world」と言ったので、私は大笑いした。彼は「私がそう言ったら、R&Fさまが大笑いしたとジェフリー様に伝えておきます。」と彼も笑っていた。ジェフリーは私もよく知っているそこの筆頭株主。
残念ながら、東京はそうはならない。
うちのほうの大手のスーパーが改装が終了して、ずいぶん買うものがなくなった。これは濃厚に『売り上げ至上主義』に毒されている。たとえば、オーガニックのシリアルがなくなった。同じくオーガニックやバードフレンダリーの珈琲もなくなった。こどものお菓子のコーナーがあったので、ひとつづつ手に取って内容物を調べてみる。ありとあらゆる保存料、乳化剤、何とかエキス、ソルビトール、香料、などがビッチリ。頭と味覚の悪いこどもに育ちそうだ。
おもしろいことに、タマゴ・ボーロのような離乳食後の素朴なお菓子が棚から消えていた。安いから儲からないのだろう。あれはうちもそうだが、けっこう高齢者が買っていた。『南米産唐辛子のスナック』などは高齢者に向かないばかりでなく、頭脳も南米唐辛子風になりそうな気がする(笑)。
これは大人向けのコーナーでもそうで、どんどん正体不明の食品に置き換わっている。
『良い商品』というのは何重にも意味があるわけですが、買い手にとって良い商品とは、耐久消費財であれば、使い心地がよく、壊れず、維持費が安く、モデルチェンジをあまりせず、長持ちする、というところだろう。ところが「売り手にとって良い商品」とか、クレームが来なくて、売れた後、適当なところで買い替え需要が発生し、売った時の粗利が大きいもの、ということになる。
最近の日本での商品は、どんどん『売り手にとってよいもの』になっている気がする。
そのスーパーの一隅に100円ショップが出来たのだが、100円ショップを見ていると、この国からどんどん仕事が消えて行く様子がよくわかる。
ホウキが100円。一世帯でホウキなどは、使ううちでも年に2本だろう。一世帯が年に200円ではとてもやってゆかれない。1000円で売ってもあまり儲からないのではないか。つまりは労働賃金が20分の一の諸国と競争させられる。
文房具もやっていられないでしょう。安いノートばかりが並んでいる。50年100年はとても残せそうにない。売り場には何百品目かがあり、売り子は3人ぐらいだ。昔なら商店街の食器屋、文房具屋、ホウキ屋などとして、数多くの世帯の家計を支えていたのが、いまや3人のパートで事足りる。つまり100分の3以下に労働人口を減らすことになっている。
どういう仕事が残るのか?鵜折るマートなどには光学読み取りのセルフ・レジがある。そうするとやがては7人のレジ打ちのパートのおばさんを一人にして、警備員一人で足りるだろう。その警備員に夜の警備もさせたら一石二鳥だ(爆)。仕事がきつくなろうが、スーパーは知ったことではないだろう。6人分の食い扶持が減るのはたいへんなことだ。パートの仕事が減って、家計が貧しくなれば、ますます安い店が流行る。
洋服屋と自転車は長年そういう状況下に置かれていた。それがだんだん他の分野にも波及しつつあるのを感じる。これからAIが対話式コンピューターになり、苦情受付も道案内も売り場案内もすべてやるようになるだろう。警備員もいままで5人いたのを監視カメラとドローンにして、一人が管制室でスクリーンを5つ眺めるようにすれば、4人クビに出来る。侵入者を追いかけるロボット犬はすでにアメリカでは軍用品が完成している。顔の写真を撮られ、さらに催涙スプレーでもそういうメカニカル・ドーベルマンに吹きかけられたら、どんな人間でもひとたまりもない。
これを押しすすめて、労働力を何分の一、何十分の1まで減らせば、企業の儲けは増えるだろう。それでいったい誰が恩恵をこうむるのか?
貧乏人は1円でも安いものを折り込み広告を丹念に読んで追いかけ、そこから逃れるすべはない。また、そういうものを食べていて、良いものを食べているミリオネアより健康でいられるはずがない。家族で一人そういう病気になるものが出たら、他の家族全員の経済状態も圧迫するはずだ。
そういう収入格差世界で、自分のいる『深さ』から別の深度のところへ移動する武器は『外見』だろうが、それとても、自分の次世代の容貌は配偶者に左右されるので、貧困層が自分の求める麗しい外観の相手を射止めることはチョイスが狭まり、確率も下がり不利になると思われる。
これはすでに現代日本人の性行動格差が統計によってはっきりしている。
ナポレオン・ボナパルトは仕事の効率が上がる機械を発明した男を、『多くの人を失業させるとんでもないものを作りだしたろくでもない奴』とギロチンに処したとどこかで読んだ。今から考えると、ナポレオンの気持ちがわからないでもない。