ある地域の文明とか都市とかが滅びることがあるというのを最初に知ったのは、小学校にあがる前、『世界の昔話』とかいう読んだのが最初だったのではなかったか?
ある町に石の亀がいて、その目が赤くなると地震が来て、津波に呑まれてしまうから逃げろと言う言い伝えが村にあったという。ある強欲な男が「何を言っているんだ、迷信深い奴らめ、大事な家屋敷を捨てて逃げられるものか」と、ある時、その男は亀の石像の目をいたずらして赤く塗った。
村人たちは必要最小限の荷物を持って逃げだしてしまいました。目を赤く塗った男は高笑いをして、「この村の物はすべて俺のものだ。今日から俺がここの王様だ」と宣言する。そうしたら地鳴りがして、その男は海に呑まれてしまいましたという話でした。
これは何を後世に伝えようとした話だろう?とよく考えた。『目の色が変わると天変地異を知らせてくれる、そんな便利な石像をあざけり、我欲にとりつかれた男の話」か?
挿絵は中国風の服装をしていました。
ほかにもソドムとゴモラの話であるとか、映画で『ポンペイ最期の日』などというのも見た。
しかし、私がもっとも興味を持ったのは東大の竹内均先生の書いたアトランティスの仮説でした。アトランティスが『徐々に沈んだのではなく、一気に沈んだように書かれている』ところに着目した。地中海にはサントリーニ島という火山島がありますが、これは昔、富士山のようなコニーデ型の火山であったことがわかっている。それが大陥没して、阿蘇のような大カルデラになった。
かつての島の面影が、周囲のネックレス状になった島々に残っている。
サントリーニはいわば海中にそびえたつ富士山のような形だったわけですから、島は当然円形だったはずです。アトランティスも円形であったと書かれている。
もし、富士山が海の中にあって、それが阿蘇のように陥没したら、いったいどれくらいの津波が起こるのか?想像してみて欲しい。その天変地異は地中海から古代エジプト、中東に至るまでの古代世界でたいへんな出来事だったはずです。
モーゼがエジプトを出た時、奇跡により海が割れた話が旧約聖書に出てきますが、竹内先生は、科学的に考えて、サントリーニ島が大陥没するほどのことが起これば、未曽有の引き潮が起こり、本当に海が割れた可能性があると考察している。
そもそもプラトンはアトランティスの話をエジプトの神官から聞いたという。
その引き潮のあとの巨大津波。クレタ島の文明もミノア文明も津波で滅んだことが確認されている。
最近では、古代地中海世界に金属供給地として知られていた国家が、ボスポラス海峡のスペイン側の干潟に埋もれているらしいと言うこともわかっている。そこも地震で一夜にして泥の海に沈んだことになっている。
ポルトガルもあれほど豊かな海洋国家であったのに、リスボン大地震で国の土台が傾き、ついにその後、歴史上で影響力を持つ国として、再浮上してくることがなかった。
日本も縄文時代の長年の平和で安定していた時代に終止符を打ったのは、喜界カルデラの噴火であった。
そういう地球それ自体の活動はこれからもあるだろうと考えるのが自然で、アメリカの学者はイエローストン公園の火山が『太古のように本気で噴火をしたら北米の7割が人が住めなくなる』と予想している。
最近の調査ではそれが活発化の傾向があることがわかっている。
さらにはその火山灰が太陽光を遮り、農作物もやられ、かなりの生物が滅んで『総入れ替え』になる可能性も指摘されている。
経済エントロピーももはや末期的で、進むも戻るも難しくなっている。地球環境的にも資源的にも待ったなしなのだが、いまだに『世界が持続的に経済成長できるように』といういわば『目先の経済利益保持』の話しか出てこない。ほんとうは『ドグマ』や『宗教・教義でいがみあっている場合ではない』、あやういところに人類はいるように見える。
「お便利科学」はCPU搭載のさまざまな家電、自動車、あとは通信機械で進んだように見えるが、この地球と言う星をどうとらえ、どこで調和を付けて共存し、この繁栄を続けて行くか?という科学的な認識はずいぶん、地球と言う巨大なバイオトープのような閉鎖系の世界に関しては、認識でかなり遅れていると私は考えている。
そういうことは一人ではどうしようもないので、エリック・サティのグノッシェンヌとジムノぺディを聴いて、はるか昔のクレタ文明とアトランティス伝説に思いをはせる。
PS:ところで、Youtubeでサティを検索すると、あまりにたくさん出てくるのに驚かされます。1970年代前半には楽譜もなく、名前すら知られていなかった。当時、アテネ・フランセで古いフランス映画の上映会をやっていて、コクトーのサン・ソスピール山荘などもそこで見ましたが、あるとき1950年代の白黒の映画の中でサテイが流れていて、とてもよかった。たぶん、サティの弟子の一人のプーランクが弾いていたいたように記憶している。その後、アルド・チッコリーニがサティの全集を表ジャケットにピカソのサテイの肖像を載せて出しましたが、私はそれを大枚はたいて買って、たいそうがっかりした。
まったくテンポがおかしく、かつ揺らぎ過ぎに聞こえた。いまもそう思う。しかし、彼は先鞭をつけた一人なので、多くの人が彼の影響を受けているように聞こえる。残念なことです。最初に入ったものはなかなか抜けない。
ピアノ飯でファブリエやプーランク、ダリウス・ミヨーなどのサテイをじかに知っていたひとの演奏がYoutubeに見つからなかったので、ハープ版を紹介しておきます。
HarpistAlex Gymnopedie No1
ハープの調弦が何本か甘いのが私は気になりますが、全体としてすごく雰囲気をよくつかんでいると思う。
ある町に石の亀がいて、その目が赤くなると地震が来て、津波に呑まれてしまうから逃げろと言う言い伝えが村にあったという。ある強欲な男が「何を言っているんだ、迷信深い奴らめ、大事な家屋敷を捨てて逃げられるものか」と、ある時、その男は亀の石像の目をいたずらして赤く塗った。
村人たちは必要最小限の荷物を持って逃げだしてしまいました。目を赤く塗った男は高笑いをして、「この村の物はすべて俺のものだ。今日から俺がここの王様だ」と宣言する。そうしたら地鳴りがして、その男は海に呑まれてしまいましたという話でした。
これは何を後世に伝えようとした話だろう?とよく考えた。『目の色が変わると天変地異を知らせてくれる、そんな便利な石像をあざけり、我欲にとりつかれた男の話」か?
挿絵は中国風の服装をしていました。
ほかにもソドムとゴモラの話であるとか、映画で『ポンペイ最期の日』などというのも見た。
しかし、私がもっとも興味を持ったのは東大の竹内均先生の書いたアトランティスの仮説でした。アトランティスが『徐々に沈んだのではなく、一気に沈んだように書かれている』ところに着目した。地中海にはサントリーニ島という火山島がありますが、これは昔、富士山のようなコニーデ型の火山であったことがわかっている。それが大陥没して、阿蘇のような大カルデラになった。
かつての島の面影が、周囲のネックレス状になった島々に残っている。
サントリーニはいわば海中にそびえたつ富士山のような形だったわけですから、島は当然円形だったはずです。アトランティスも円形であったと書かれている。
もし、富士山が海の中にあって、それが阿蘇のように陥没したら、いったいどれくらいの津波が起こるのか?想像してみて欲しい。その天変地異は地中海から古代エジプト、中東に至るまでの古代世界でたいへんな出来事だったはずです。
モーゼがエジプトを出た時、奇跡により海が割れた話が旧約聖書に出てきますが、竹内先生は、科学的に考えて、サントリーニ島が大陥没するほどのことが起これば、未曽有の引き潮が起こり、本当に海が割れた可能性があると考察している。
そもそもプラトンはアトランティスの話をエジプトの神官から聞いたという。
その引き潮のあとの巨大津波。クレタ島の文明もミノア文明も津波で滅んだことが確認されている。
最近では、古代地中海世界に金属供給地として知られていた国家が、ボスポラス海峡のスペイン側の干潟に埋もれているらしいと言うこともわかっている。そこも地震で一夜にして泥の海に沈んだことになっている。
ポルトガルもあれほど豊かな海洋国家であったのに、リスボン大地震で国の土台が傾き、ついにその後、歴史上で影響力を持つ国として、再浮上してくることがなかった。
日本も縄文時代の長年の平和で安定していた時代に終止符を打ったのは、喜界カルデラの噴火であった。
そういう地球それ自体の活動はこれからもあるだろうと考えるのが自然で、アメリカの学者はイエローストン公園の火山が『太古のように本気で噴火をしたら北米の7割が人が住めなくなる』と予想している。
最近の調査ではそれが活発化の傾向があることがわかっている。
さらにはその火山灰が太陽光を遮り、農作物もやられ、かなりの生物が滅んで『総入れ替え』になる可能性も指摘されている。
経済エントロピーももはや末期的で、進むも戻るも難しくなっている。地球環境的にも資源的にも待ったなしなのだが、いまだに『世界が持続的に経済成長できるように』といういわば『目先の経済利益保持』の話しか出てこない。ほんとうは『ドグマ』や『宗教・教義でいがみあっている場合ではない』、あやういところに人類はいるように見える。
「お便利科学」はCPU搭載のさまざまな家電、自動車、あとは通信機械で進んだように見えるが、この地球と言う星をどうとらえ、どこで調和を付けて共存し、この繁栄を続けて行くか?という科学的な認識はずいぶん、地球と言う巨大なバイオトープのような閉鎖系の世界に関しては、認識でかなり遅れていると私は考えている。
そういうことは一人ではどうしようもないので、エリック・サティのグノッシェンヌとジムノぺディを聴いて、はるか昔のクレタ文明とアトランティス伝説に思いをはせる。
PS:ところで、Youtubeでサティを検索すると、あまりにたくさん出てくるのに驚かされます。1970年代前半には楽譜もなく、名前すら知られていなかった。当時、アテネ・フランセで古いフランス映画の上映会をやっていて、コクトーのサン・ソスピール山荘などもそこで見ましたが、あるとき1950年代の白黒の映画の中でサテイが流れていて、とてもよかった。たぶん、サティの弟子の一人のプーランクが弾いていたいたように記憶している。その後、アルド・チッコリーニがサティの全集を表ジャケットにピカソのサテイの肖像を載せて出しましたが、私はそれを大枚はたいて買って、たいそうがっかりした。
まったくテンポがおかしく、かつ揺らぎ過ぎに聞こえた。いまもそう思う。しかし、彼は先鞭をつけた一人なので、多くの人が彼の影響を受けているように聞こえる。残念なことです。最初に入ったものはなかなか抜けない。
ピアノ飯でファブリエやプーランク、ダリウス・ミヨーなどのサテイをじかに知っていたひとの演奏がYoutubeに見つからなかったので、ハープ版を紹介しておきます。
HarpistAlex Gymnopedie No1
ハープの調弦が何本か甘いのが私は気になりますが、全体としてすごく雰囲気をよくつかんでいると思う。