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Channel: 英国式自転車生活
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としよりとの生活

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私のまわりでも、親の具合がかなり悪くなってめんどうを見ないといけなくなっている仲間がかなりいます。

みんなたいへんです。病院へ連れて行くぐらいから、さらには寝たきりまで。

ある友人が遅刻してきた。出がけに母親のトイレの世話をしていて電車を乗り逃がした。よくある話。

中には両親2人とも重病で、兄弟も具合が悪い人もいる。

みなさん、程度の差こそあれ、人生のどこかでそういう具合になると思ったほうがよい。

最初は祖父母、次は両親、その次は自分がそうなる。

人間の健康はわからない。私の叔父は煙草も吸わず、家族に薬剤師がいたので、食べるものに細心の注意を払い、それでもガンで早死にした。一方叔母は煙草を吸いまくり、酒もよく飲んで、90歳に手が届くのに頭もしっかりして踊ったりしている。

昨年なくなった自転車界の重鎮も、自転車によく乗り、煙草も吸わず、肥満でもなく、それでもやはりガンで早死にした。ロードの選手で60歳ぐらいで命尽きる人もいる。わからないものです。ジャック・アンクティルだって、あれほどのチャンピオンで若死にしている。

こればかりは予測のしようがない。

身体の自由が利かなくなるのも、喋れなくなるのも、失明するのも、これまた予測のしようがない。今年良くても来年はどうだかわからないのが困ったところです。

自転車界でも、50歳前に自転車に乗れなくなった人は少なくない。

「自分は健康だから」とたかをくくってはいられない。

たくさんそういう人たちを見て、感じることは、自分ではどうにもならなくなる場合があること。ところが周囲でそれに理解を示す人が少ないことです。

高齢者や病人に怒っている人をよく見る。

『やがては怒っている貴方がそうなるんだぞ』と私などは思います。

戦国武将でも昭和の政治家でも、栄華と権力も、脳溢血・脳血栓ひとつでガラガラと瓦解したのはご存じの通り。

そうなると、金も地位も権力もあてにならない。

健康だけ残っていても、どうにもならないまま、歯がゆいばかりの超高齢者に自分がなってゆく場合もあるでしょう。

『最後は人生観だろうな』と私などは思う。

シェークスピアのジュリアス・シーザーの最後で、ブルータスがもはや最期と覚悟を決める。
「自分の人生は幸福だった。この敗北の最悪の瞬間でも良き友にかこまれて、栄光に包まれている。」
と言う。

介護を必要とする身となってから、そう思え、また介護を受けるがわにもそう思わせる人になりたいものだ。

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