私は古い木が大好きでして、生きている古木も、時代が経った木製品も好きです。
基本、「同じ木目の木は2つない」わけで、とくに、流れている木目や輪切りのものが好きです。2つとないわけですから、気に入った木目のものはだいたい迷わず買う。
樹木と言うのは『地面のところで折り返したように』地面の下にも、上に出ているのと同じような部分があるわけで、そう考えて眺めるとなかなか味わい深い。
枝が風に揺すられ、うなりをあげ、葉がはためく中、倒れずに生き延びたということは、枝などに風でかかる力を幹がうまく応力分散するカタチで育つ。その中身の木目はなかなか神秘的です。
面白いもので、『輪切りにしたものは必ずヒビが入る』。茶托のような小さいものでもかならず割れる。
それでも、やはり作る職人が居るのは、輪切りの木目が面白いからでしょう。
今週は茶櫃をひとつ見つけました。自転車のタイヤのチューブほどの価格。割れているから誰も手を出さなかったのだろうと思う。しかし良い味が付いている。40年、50年ではここまでにはならないだろうと思う。
割れたところを修理しようと、一度木片を膠で貼ったあとがある。その膠がもう真っ黒になっている。割れてからはや100年か?これを修理して、ゲッソ(西洋膠)を盛り上げ、金箔を貼って『金接ぎ』をしようと考えている。
白洲正子の江戸初期の茶筒の蓋も、こんなふうに割れて、外側に玉鋼の「かすがい」でとめてあった。これは割れが大きいので木片を入れて、穴をふさがないと実用にならない。
木は欅かと思ったら、ずいぶん比重が軽い。「栓」(せん)の木かな?と思う。
どこかの農家の縁側で、実用に使われていたような気がする。
そういう『時間を買う』という感じです。名品や凝ったものよりそういうもののほうが私には面白い。
右端は10分ばかり磨いたあと。