この時期、クリスマスカードのやりとりが欧米ではありますが、原則、クリスマスカードは基督教徒の間でやりとりするもの。違う宗教の人のところへはSeason's Greetingsとする。
メールでクリスマス・グリーティングがくると私はけっこうしらける。
私が一時期住んでいたアンナの家は、英国のListed buildingだった。これは保存が義務付けられている歴史的建造物で、勝手な改造は許されない。もう、クリスマス・カードに描かれているような家だった。
のちに住んだ家は巨大なエドワード朝ーヴイクトリア朝のお屋敷でしたが、アンナの家はもうちょっと古い。小さいけれど、よりディッケンズ的というかジェレミー・ブレットのホームズの家のようだった。
私は屋根裏に住んでいたのですが、屋根裏というのは、私のような貧乏性の者には妙に落ち着く。
電気はコイン式で、50ペンス(120円ほど)を入れてゼンマイをギリギリとねじっておくと1週間ほど点く。水道はなく水差しとコップが置いてあって、ホコリが入らないように上にピンク色のエドワード朝の転写絵付けの皿がのせられていた。
蛇口をひねると水が出るというのも、いまは当たり前だが、水差しと共に生活するのも悪くなかった。誰でも水筒をもって山へ登ると、水のありがたみがわかるが、水差しにはそれと同様の効用がある。
その水を電熱線式のケトルに入れて、ポットにセインズべりのブラウンパックのティーバッグを放り込む。風呂やトイレは階下に降りる。
「ああ、ついに念願の屋根裏の貧乏詩人になれた!」と喜んでいた。
初心忘れまじ、でアンナの家から「お屋敷」へ移る時ウオーターフォードのものを買った。昭和20~30年代生まれの人の中には、日本でも病気になると、ガラスのコップが蓋になるそういう水差しが、病気になった時の枕元に置かれた記憶がある人がいるかもしれない。あれのもっと高級なものと考えれば間違いがない。
「歳とって、寝室から台所まで行くのもおっくうになったら使うのだ」と周囲に自慢していた(笑)。
もうひとつ、ヨーロッパの生活ではベッドというのは特別な意味を帯びている。日本家屋では布団は「あげてしまう」ので、部屋は多用途に使えるわけですが、ヨーロッパであれば、寝室は常にそこにあり、一日の仕事が終わると帰るねぐらであるわけです。場合によっては一生を終えてそこへ帰るところでもある。この感覚の差はなかなか日本では理解されない。
そこで休息し、英気を養い、みづくろいをして、階段を降りて来たら、もう即戦態勢でないといけない。
そう言う文化背景を反映して、上流の家では寝室の隣が浴室だったり、巨大なワードローブが置いてあったりする。私はそういう世界も懐かしく思う。保温が良く肌に柔らかい「錫」のバスタブで、頭上にはプールのシャワーのような向日葵サイズのものが付いている。しかもラジエーターが入っていて暖かい。
それでも、屋根裏の貧乏詩人のところにも、気が利く家では、ベッドまで朝の紅茶を持ってきてくれる。いいものなのです。1980年代末までは、ナイトスリーパー(寝台特急)でも降りる駅の少し手前で車掌が起こしに来てくれて、紅茶とビスケットを持ってきた。
炎のランナーのなかで、エリック・リデルが試合のために夜行寝台でスコットランドから出てきて、朝の紅茶を読みつつ新聞を読んでいるシーンがある。
英国がいいのではなく、あのヴイクトリアーエドワード朝の英国の生活リズムが良いのだと思う。どうもそういう『味』が1990年代にかなり蒸発してしまった気がする。
エドワード朝生まれの英国人は、クリスマス・ツリーは何日も前から飾ったりはしない。クリスマスの前日、突如として部屋に出現するのを『本格』としていた。
フランシスもアンナももはやいない。エドワード朝生まれの友人の最後の一人バーバラも今年世を去り、英国へ行ってもそんな話は通じないだろう。
そのアンナの家で、居間に糸が帆船のように渡され、そこに万国旗のようにクリスマスカードが引っ掛けられ、中心にクリスマスツリーがあった。
屋根裏の寝室から1階に降りてくると、突如としてヴイクトリアーエドワード朝のクリスマス風景が広がっていた。それを眺め、階段の下から自分のロードスターの自転車を引っ張り出して道路へ出る。
いつもは暗く静まり返った教会のうち側から光が漏れ、巨大なランタンのように光っている。クリスマスの音楽のパイプオルガンが聞こえてくる。
これで「馬のひづめの音」が聞こえて来たら申し分なくシャーロック・ホームズの世界だと思うが、馬がいないので、スターメーのハブギアのラチェットの音を代用品にする。
クリスマスのあとには帰るので、Last few minutes shoppingとあちこちまわる。店主と雑談がはずむ。
「さて、もう2か所まわらないと。それでは良いクリスマスを」
「貴方も、sir. そしてsafe journey,sir.」
良い時代に英国に居られたと思う。☜ロの脅威もなかった。あれから幾年月。
カードはいつしか無味乾燥なメールになり、キャロリングもすることなく、貧者救済の活動をすることもなく、自分が病気一発で貧者になりそうだ(爆)。
いまだに頭の中は「英国のカレンダー」になっている。今日はクリスマスの1週間前のアドヴェント。蝋燭があと一本のところまで灯る。
人の自転車のサンツアーのアダプターを作り、もはや骨董のカンパのハブをピカールで磨き、自分はこんなところでいったい何をやっているのか?これがどこかで世の中のためになるのか?とぼんやりと思う。
メールでクリスマス・グリーティングがくると私はけっこうしらける。
私が一時期住んでいたアンナの家は、英国のListed buildingだった。これは保存が義務付けられている歴史的建造物で、勝手な改造は許されない。もう、クリスマス・カードに描かれているような家だった。
のちに住んだ家は巨大なエドワード朝ーヴイクトリア朝のお屋敷でしたが、アンナの家はもうちょっと古い。小さいけれど、よりディッケンズ的というかジェレミー・ブレットのホームズの家のようだった。
私は屋根裏に住んでいたのですが、屋根裏というのは、私のような貧乏性の者には妙に落ち着く。
電気はコイン式で、50ペンス(120円ほど)を入れてゼンマイをギリギリとねじっておくと1週間ほど点く。水道はなく水差しとコップが置いてあって、ホコリが入らないように上にピンク色のエドワード朝の転写絵付けの皿がのせられていた。
蛇口をひねると水が出るというのも、いまは当たり前だが、水差しと共に生活するのも悪くなかった。誰でも水筒をもって山へ登ると、水のありがたみがわかるが、水差しにはそれと同様の効用がある。
その水を電熱線式のケトルに入れて、ポットにセインズべりのブラウンパックのティーバッグを放り込む。風呂やトイレは階下に降りる。
「ああ、ついに念願の屋根裏の貧乏詩人になれた!」と喜んでいた。
初心忘れまじ、でアンナの家から「お屋敷」へ移る時ウオーターフォードのものを買った。昭和20~30年代生まれの人の中には、日本でも病気になると、ガラスのコップが蓋になるそういう水差しが、病気になった時の枕元に置かれた記憶がある人がいるかもしれない。あれのもっと高級なものと考えれば間違いがない。
「歳とって、寝室から台所まで行くのもおっくうになったら使うのだ」と周囲に自慢していた(笑)。
もうひとつ、ヨーロッパの生活ではベッドというのは特別な意味を帯びている。日本家屋では布団は「あげてしまう」ので、部屋は多用途に使えるわけですが、ヨーロッパであれば、寝室は常にそこにあり、一日の仕事が終わると帰るねぐらであるわけです。場合によっては一生を終えてそこへ帰るところでもある。この感覚の差はなかなか日本では理解されない。
そこで休息し、英気を養い、みづくろいをして、階段を降りて来たら、もう即戦態勢でないといけない。
そう言う文化背景を反映して、上流の家では寝室の隣が浴室だったり、巨大なワードローブが置いてあったりする。私はそういう世界も懐かしく思う。保温が良く肌に柔らかい「錫」のバスタブで、頭上にはプールのシャワーのような向日葵サイズのものが付いている。しかもラジエーターが入っていて暖かい。
それでも、屋根裏の貧乏詩人のところにも、気が利く家では、ベッドまで朝の紅茶を持ってきてくれる。いいものなのです。1980年代末までは、ナイトスリーパー(寝台特急)でも降りる駅の少し手前で車掌が起こしに来てくれて、紅茶とビスケットを持ってきた。
炎のランナーのなかで、エリック・リデルが試合のために夜行寝台でスコットランドから出てきて、朝の紅茶を読みつつ新聞を読んでいるシーンがある。
英国がいいのではなく、あのヴイクトリアーエドワード朝の英国の生活リズムが良いのだと思う。どうもそういう『味』が1990年代にかなり蒸発してしまった気がする。
エドワード朝生まれの英国人は、クリスマス・ツリーは何日も前から飾ったりはしない。クリスマスの前日、突如として部屋に出現するのを『本格』としていた。
フランシスもアンナももはやいない。エドワード朝生まれの友人の最後の一人バーバラも今年世を去り、英国へ行ってもそんな話は通じないだろう。
そのアンナの家で、居間に糸が帆船のように渡され、そこに万国旗のようにクリスマスカードが引っ掛けられ、中心にクリスマスツリーがあった。
屋根裏の寝室から1階に降りてくると、突如としてヴイクトリアーエドワード朝のクリスマス風景が広がっていた。それを眺め、階段の下から自分のロードスターの自転車を引っ張り出して道路へ出る。
いつもは暗く静まり返った教会のうち側から光が漏れ、巨大なランタンのように光っている。クリスマスの音楽のパイプオルガンが聞こえてくる。
これで「馬のひづめの音」が聞こえて来たら申し分なくシャーロック・ホームズの世界だと思うが、馬がいないので、スターメーのハブギアのラチェットの音を代用品にする。
クリスマスのあとには帰るので、Last few minutes shoppingとあちこちまわる。店主と雑談がはずむ。
「さて、もう2か所まわらないと。それでは良いクリスマスを」
「貴方も、sir. そしてsafe journey,sir.」
良い時代に英国に居られたと思う。☜ロの脅威もなかった。あれから幾年月。
カードはいつしか無味乾燥なメールになり、キャロリングもすることなく、貧者救済の活動をすることもなく、自分が病気一発で貧者になりそうだ(爆)。
いまだに頭の中は「英国のカレンダー」になっている。今日はクリスマスの1週間前のアドヴェント。蝋燭があと一本のところまで灯る。
人の自転車のサンツアーのアダプターを作り、もはや骨董のカンパのハブをピカールで磨き、自分はこんなところでいったい何をやっているのか?これがどこかで世の中のためになるのか?とぼんやりと思う。