いまから10年以上前ですが、カンパのことをまとめていた時に、「もはや、ヌーヴォ・レコードの時代のことを知っている人はうちの社にはひとりもいない。このようなかたちでまとめてくれたことに大変感謝している」と言われた。
これはブルックスとて同じで、昔のやり方と今のものはずいぶん違っている。今年のカタログを観ていてそう思った。
私の自転車に乗っている方で、たいそうよく乗っている方がいて、山陰地方を縦断して出雲大社までとか乗っている。その方が今度は九州のほうまで乗ってゆく計画中で、パニアバッグがないか?という話が出た。
私は一応、ひととおり歴史的に『昔の人はどうやっていたか?』を調べ、使ってみるたちなので、パニアバッグとリアのサイドバッグは1910年頃のものから一通り参考品として持っている。
まあ、私の場合、「わかったら、あとは資料として持つか、撮影用なので、どうしても持っていないといけないものではない」。自転車もそう言う具合でほとんど手放した。
本のために撮影することもないだろうし、これもいいかな?と本日発送。
1960年代半ばのブルックスのバッグです。これを見ていると、あきらかにWW2の時の自転車バッグのことを知っている人が社内に居たことがわかります。
パニアバッグは内側に回転する車輪を抱えるので、バッグのうち側が泥などでたいへん汚れます。そのため自転車部隊のバッグは内側にかなり厚手のレンサティック・レザーを使用していた。いつでも綺麗になる。
このバッグもそのやりかたを踏襲している。
表側はいかにも1960年代らしいチェックの布ですが、裏はしっかりしたレンサティックになっている。その上、型が崩れないように、上も下も、焼きの入ったスチールの心金が入っている。こういうのは今はありませんね。
なんで、これが60年代のものだと言うかというと、1970年代のものは、ベルトが革ではなくなっている。いままで、英国で100個ぐらい古いものを見ましたが、70年代のものでこういうベルトのものはなかった。
しかも、不思議なことに、この革ベルト、なぜかキャラダイスのものとまったく同じものが使われている。あの時代、なんらかの協力があったのかもしれません。
こういうことは、古いものにじかにあたって、実際に手に取ってみないとわからない。金具もキャラダイスのものです。
これをコピーすることは出来ますが、なんとなく「60年代英国」のこの製品の背景にある感性はコピーできない。いまやったら別の物になるでしょう。
「ハリス・ツィードで、、」などとやったら、織り目にゴミが入って始末が悪い。水とアルコールを半々で割ったもので、みごとに『シェッド・ソイル』は綺麗に落ちました。
うちにあるいくつかは、英国の彼らも持っていません。実際、いくつかは参考資料にしたいと言うので、ブルックスに写真も撮らせてあげた。このバッグ、半世紀前の新品未使用品です。ほんとうならば、自転車文化センターが『自転車の荷台とバッグの変遷』とか、過去に存在した全ヴァージョンを網羅した本でも出版するべきだった。残念ながら四十年間そういうことはありませんでした。ヘッドバッジの本は見たことがありますが、『ヘッドバッジは未来の自転車設計者の参考にはならない』。磨きこんでもいない不動車を並べていても一般人もマニアも見たくはない。この国に本気でものづくりと技術を残そうというのなら、そういうことも議論されてしかるべきだと思う。