奇妙なもので自転車で歩いていると、たまに大量の鳥がとまっている樹をみます。「鳥のなる樹」。
不思議なことに、鳥がたくさん来るベランダもある。前の家のベランダにはずいぶんたくさん鳥が来て、ガラス戸を開けると雀やヒヨが大量に飛び去ってゆくくらいでした。何が気に入ったのかわからない。雀のこどもまできていた。
いまのところへはベランダには来なくて台所の軒の上に来る。軒の上をちょんちょん歩いている音がよく聞こえる。姿は見えない。
私は人間も同じなのではないかな?とよく考えるのです。
私はなんとなく「アンテナに感じる」ほうで、私があまりゆかなくなると、そこは左前になる。寂れます。家も店も。じつに不思議。
東京の英国人の集まっていた場所も、私が役員でいた時に最大のメンバー数になり、私が抜けて1年半後に解散した。
私の仕事を知っている方はご存じの通り、ある雑誌は私がパターソンの世界を走るとかやっていた時に最大部数になった。そして抜けると書店に置かれなくなり、今は消滅。某別冊も1年に多いときは5回出ていましたが、私が抜けてから見る影もない。自動車雑誌が出した自転車ものは、1回目は空前絶後に売れた。2号目にはからみませんでしたが、2号以後からは売れず、ついには身売り。某エンジン付き2誌は、私が抜けた後はひとつは厚さが半分になり、もう一誌は最近みない。休刊なのではないか?
契約の会社もそうです。サイエンスパークを作るくらいの会社が、「雰囲気変わったからもう行かない」と仕事を断ったら、2年経たずして、本社を売って消滅しました。
うちでやっているポンチョの生地は入手が極端に難しいのですが、ある問屋さんが大手の生地問屋さんを紹介してくれた。すごい立派な会社だったのですが、何かピンと来ず、こちらから連絡しないでいたら、6か月ほどで倒産してしまった。
ほんのこれは一部です。「潮目の変わりが見える」。ほとんど理屈で考えない。
「じつはブームが来た時はすでに終わり」だと私は思っている。
「喰う寝る系の店」も5年ぐらい前に終わっていると私は思っていますが、いまだにそのラインで店を出したりする人がけっこういる。うちの近くにもそういう雑貨店が出来ましたが、まったく人が入っていない。ツィード乗り物走行もとうの昔に終わっているのに、これからやろうとしている人がけっこういる。先週ドイツの自転車雑誌を見ましたが、あきらかに最後の頽廃期に入っているように見えた。
「では今は何をやるべきか?」
そういう場合に、私は教科書になる雑誌やネット上の記事は存在しないと考えている。
どう言ったらいいのか、「その時代の雲に乗る」感じ。自転車の関係者にはよくこういう質問をする。
「来年の春の洋服と色はどういうのが流行りますか?」
それがわからなければ、何を基準に自転車製品の色を決めるのか?
これは面白いもので、骨董品やアンティークですら、その時代の『時代空気』が流行を左右している。
私はねこや鳥と同じで、ある日突然飽きる(笑)。そして「これのほうがいいんじゃないかな」と、違う店に行ったり、違うものを読み始めたり、違うものを買ったり。これは本能的なものです。
2015年の時代精神で、これはしっくり来ないでしょ、という店へは行かなくなる。そういうしっくりくるところに行くと、同類がいるのです。
そういう場所は常に回遊している。
1980年代から1993年ぐらいまでは、英国にはヨーロッパからずいぶん芸術家が集まっていた。それが1998年頃に一斉に英国を離れた。何が彼らを離れさせたのか?これは鳥が飛んでゆくようなもので、理屈ではないのです。
そういうことは20世紀初頭のパリのモンマルトルからモンパルナスへ磁極が移ったようなもの、モンパルナスは極貧の地だったのに金持ちまでもが海外からやってきた。
芸術というのは役に立たないもののように思われがちですが、『文化の必須要素』であると思う。科学技術や建築、科学、哲学が全くないところで、芸術だけが良いということはなかった。ルネッサンスのフィレンツエも古代ギリシャも17世紀のオランダも、18世紀のフランスも。芸術が上手く育っているところでは、哲学や科学技術も必ず上手く育っている。
そういうものの成熟が許される、社会の隙間が重要なのだと思う。
いまでは東京の中央線沿線とかにかつての芸術の息吹を私は感じない。雑多な消費お祭り広場の感じで、芸術が生まれてくる『堆肥』が薄い感じがする。
「最近、英国へは行かないんですか?」と訊かれる。私が若いころ面白いと思った英国を支えていたのは、『中堅になったビートルズ世代』。彼らもみんな70歳を超えている。それより前の古きエレガントな英国を引きずっていた人たちは85歳以上。いまはちょっと潮目が違うのです。
英国を出て行った芸術家連中はチェコやハンガリーに行った。それもまたいまや潮目が変わってきている。
こういうことは「何かを推進してやろう」などと官僚頭がプランを練ってナントカ祭とかやってもはじまらない。「金がかからないで何かが出来る場所を提供してやればいいだけの話」。
どこかの官僚宿舎などは開放して、つぶれた町工場の旋盤やフライス、ボール盤、電気溶接機などを運び込み、金属彫刻のオブジェ造りでも、美大生や工学部の学生と工場の職人が交流して何かが作れるようにしてやったらいい。日を決めて、そういう仕事にあぶれた熟練工に、メカ好きの若者が自由にきて、機械工作を教わりに来たり、必要なものを作ってもらえるように訪ねてこられるようなシステムにしたらいい。職人にはそこそこの安定した生活が出来るだけ払うべきだ。「ボランティアで」などと言っているなら役所もボランティアでやったらいい。
私の知っている公務員でやめるやいなや天下って、平屋の広大な庭付きの家へ引っ越し、彼曰く「下り坂でもアクセルを開けると前輪が軽くなる」くらいの加速時に後頭部へ血がたまるぐらいの反社会的な速度のバイクに乗り、それでも足りずドイツ製のバイクも買って、毎年1か月も英国へツーリングに出かけ、「あとうまくやればもう一回天下りできるんだ」とぬけぬけと言った人がいる。そういうところへ国の金が回っても、何も文化的にも産業的にも有益なものは生まれてこない。
技のある人こそ国の宝。そういう人を雇って、手厚く扱い、次世代にその経験を継承させる場と経済的基盤を与える。そうすれば、機械でも作品でも、若い人たちのアイデアがどんどんカタチになる。若者に実地の技術が身に付く。これは別に「職業訓練」ばかりにとどまらない。薄給・激務で身体を壊したアニメーターだとか締め切りに追われるイラストレーター、マンガ関係者はいくらもいる。そういう人たちの教室をやってもいい。そういう人で才能ある人たちは『タダで』などとは死んでも物理的にできない。ちゃんと払って援助するべきだ。
日本の役人は、市役所のホールでも有料のコンサートとかイベントのチラシを置かせないところが多い。『無料のもよおし』のみ置かせる。
君らは2回3回も天下っているようなのもいるくらいだから、金は要らないだろう。しかし、一般市民に何でもかんでも「無料ボランティア」ばかりを当たり前のようにやらせようとするから、私に言わせれば、ロクな市民活動が出来ない。『持ち出しでやってくれる人ばかりを頼りにするのでは、本当の一流は生まれてこない』。
「無料奉仕は出来ないくらい貧しく、かつ腕のある人を活躍させるべきなのだ」と私は思う。
先に行ったそういう熟練職人と若者のコラボの場所を作り、そこへカフェでも作り、1時間100円ぐらいの料金で上の階を防音のピアノや楽器の練習室でもつくればよい。そうすれば、家に楽器も練習場所もないが才能はあるという人が出てこられる。
前に住んでいたところの数百メートルのところにあった市の建物の音楽室は、「一人には貸しません」ということで、毎日誰一人使っていなかった。5人以上からで、さらにアマチュアとして定期的に演奏会をして、、などとくだらない条件がならべられていた。私の前のドイツ人の彼女はドイツの名門フィルのバックベンチャーでしたが、そこが借りられないで、私のいる町内の集会所で毎日練習していた。何のために誰の金で建物を建て、なぜ、使い手がいなくていつも空いている場所を困っている人に貸さないのか?
「戦時中の1億火の玉」の焼き直しみたいな「絵に描いたモチ」の600兆円プランより、いまそこで消えかかっている熟練の技術とやる気を結び付けられる安価な場所を提供することを考えたほうが良い。