よそのブログをあちこち読んでいると、みなさん誰しもたいへん。生活に追われ、自分が身体を壊し、年老いた親の面倒を見て、こどもの面倒を見て、会社がうまくいっていなかったりする。
どうにも仕事がうまくゆかなくなり、ブログを閉じてしまった人もいる。身体を壊して以後、入院、一切の更新がなくなったひともいる。
私なども、要介護の高齢者がいるので、朝は5時半ぐらいからはじまる。自分の体調が崩れるとわかりますが、家の中にいる者がみんな具合が悪くなったときは、何とも言えず家中が病気じみる。
なんとなく、老老介護とかの様子が想像できる。
そうしたとき、自転車頼みででも表へ出られるとじつに気分が晴れる。これは杖をついて歩いて表へ出ても、自転車ほどは爽快感がない。これは、そういう時は、通常の徒歩の時より遅く、風景の変化が遅いせいではないかと思う。街中を歩いていても、自分が大幅に周囲の流れより遅いとストレスに感じる。
その意味で、やっぱり自転車だな、と思う。
さて。以前、ぎっくり腰をやったとき、ダイヤモンドフレームにまったく乗れなかった話は以前に書きました。タクシーを呼んでも、首を前へ曲げると腰へズ~~~~ンと来て乗り込めなかった。ところが『天神乗り』(あるいは普賢菩薩乗り)のループトップには乗れた。
今回、足をやられたわけですが、やっぱりダイアモンド・フレームはきつかった。
ようするに、またぐときに大きく右足を振り上げるわけですが、左足首に全体重が乗るわけです。やってはいけない乗り方に「ケンケン乗り」がありますが、これは左のペダルに全体重をかけて片足で乗り、動き始めてから右足を振り上げる。これは、じつは中高年の自転車による転倒のかなりの割合を占めています。さらに長い間にクランク部分が右側へ繰り返し押されているので、フレームの芯が狂ってくる。
これは片足で左ペダルに全体重を乗せた瞬間に、ひざや足首がズキンときたら、即バランスを崩す。
その意味で、ループトップやオープンフレームは中高年や、腰や膝、足首に弱点を抱えている人には、有効な解決策の一つだと私は思っている。
バネ入りサドルなら、体重分散をかなりサドルとハンドルへ意図的に移動可能なので、膝や足首をかばえる。脚に問題がなければ腰をかばえる。ドロップなら腕と肩にかなりの部分を任せるか、背筋に任せるかでしょう。こういう視点がなぜ自転車選びで言われないのか?
今回も、自分の場合、自転車にまたがって乗れるまでになったとき、ずいぶん気が晴れた。
これは過去の自分の困難期でも、自転車で『自然の表面をミズスマシのように滑ってゆくと』、たちどころにストレスが消えた。
人間の頭の中に浮かんでいることは、1秒ごとに変化していますから、自転車に乗っているときは仕事の問題も、家庭内の手間のかかる問題も、将来の不安も、自転車でウロウロしているうち、やがては蒸発する。
これは自動車などのエンジン付きではないと思う。乗っていてグルグルまわる考えを「引きずってしまう」。
この時期、うちから出てゆく林の中の道に、水たまりが残って、雨の上がった空が映っている。
その空の上を滑ってゆくと、何も考えないミズスマシの自由な気持ちが少しわかった気がする。