もうこのところ15年以上私が持っている違和感なのですが、どうも自転車は「運動に使う用具」という本質から逸脱しつつあるのではないか?という気がする。
たとえば、スキーならビンディンの不具合やねじ止めのゆるみはスキーヤー自身が点検する。素材自体のヒビや欠け、割れ、エッジの変形、めくれなども自分でチェックする。ストックの凹みや曲りも同様でしょう。
これは登山靴のチェックやソールの具合、ザイルの点検なども同じだろうと思う。
これは「買ったときに店で点検してもらった」では済まない話で、毎回、自分で使うたびに点検する。
私の世代の人たちは「自転車もスキー用具や登山道具と同じ次元の道具」という認識だったはずです。
そんなことを書き始めたのは、昨日、自転車で乗り出す前、タイヤを調べて、「トレッドがとんでいるところがあった」からで、「これは雨の中を乗ったらバーストの可能性があるな。交換しないと」と思った。しかし、このタイヤ、使い始めて1年ぐらいなのです。
私はチューブラー・タイヤのレーサーに乗っていたときは、こまめにタイヤの状態とリムセメントの状態に気を付けていました。レーサータイヤの場合はよりシビアですから。コンディションに注意不足の人は最悪カーブでタイヤがリムから外れたりする。
「高性能のスペシャル・ライトウェイトというのはそういうものだ」と思っていままでやってきた。
「初期故障があるので、なじみが出るまでの最初の3か月は遠出しない」というのも常識だった。
それがいつしか、「自転車がトースター化」したように思う。店頭からいきなり遠出するようなことをする。自転車がトースターや炊飯器と同列のものだと思っているのではないか?
これは自動車ですら無理な話で、イタリア製の超本格のスポーツカーを買って、翌日レースに出る、という人がいたら、「自動車のことを何も知らない、どうしようもないドシロート」だと思われる。
ところが、自転車はそういうのが当たり前だとなってきているようです。
いまから12年ほど前、江ノ島へ自転車で集まったとき、クロスバイクで来た人がいた。浜辺で昼食の後、私がその人のステムを見たら、角形の透かし抜きの入ったNC造りのステムに5か所ぐらいヒビが入っていた。
「これはヤバイんじゃないかな。いつパキーンと逝って、力かけた瞬間に突然ハンドルがとれてもおかしくない。大転倒して命にかかわる事故になるぞ。」
「あっ!本当ですね。怖っ!今日はソロソロ、ステムをかばって帰ります。」
我々はそのまま小田原まで走りましたが、その人はそこで離脱。
そういうユーザーと乗り物との関係が、どうもおかしなところへ来ている感じがする。自動車でもオイルと水とガソリンを入れれば、何も知らなくていいということは本来ありえないはずです。
レーシングカーでは有名でも、リコールばかりのメーカーもある。また、そういう家電スタンスを自転車へも持ち込む。迷惑な話です。
最終的に自分の自転車の調子は自分しかわからないのではないか?
ところが、過去15年間に出版された本で、乗り初めに軽く落としてみて異音のチェック、クイックシャフトやウイングナットのゆるみチェック、空気圧チェック、静止の時にまたがる際に、前輪のブレーキを強く握ってブレーキワイヤーとひきしろのチェックをしながら走り始めるなどの『儀式』を教えている技術本は見たことがない。
英国だと世界選手権3回制覇のレジナルド・ハリスとか全英オールラウンダー・チャンピオンのケン・ジョイなどは、練習で走り始める前にも必ずやっている。
私が自転車のコンポーネンツをコンピューター化した自動車のように「ブラックボックス化」することは、やがてそういう意味でつまづくと思っている。
たとえば、スキーならビンディンの不具合やねじ止めのゆるみはスキーヤー自身が点検する。素材自体のヒビや欠け、割れ、エッジの変形、めくれなども自分でチェックする。ストックの凹みや曲りも同様でしょう。
これは登山靴のチェックやソールの具合、ザイルの点検なども同じだろうと思う。
これは「買ったときに店で点検してもらった」では済まない話で、毎回、自分で使うたびに点検する。
私の世代の人たちは「自転車もスキー用具や登山道具と同じ次元の道具」という認識だったはずです。
そんなことを書き始めたのは、昨日、自転車で乗り出す前、タイヤを調べて、「トレッドがとんでいるところがあった」からで、「これは雨の中を乗ったらバーストの可能性があるな。交換しないと」と思った。しかし、このタイヤ、使い始めて1年ぐらいなのです。
私はチューブラー・タイヤのレーサーに乗っていたときは、こまめにタイヤの状態とリムセメントの状態に気を付けていました。レーサータイヤの場合はよりシビアですから。コンディションに注意不足の人は最悪カーブでタイヤがリムから外れたりする。
「高性能のスペシャル・ライトウェイトというのはそういうものだ」と思っていままでやってきた。
「初期故障があるので、なじみが出るまでの最初の3か月は遠出しない」というのも常識だった。
それがいつしか、「自転車がトースター化」したように思う。店頭からいきなり遠出するようなことをする。自転車がトースターや炊飯器と同列のものだと思っているのではないか?
これは自動車ですら無理な話で、イタリア製の超本格のスポーツカーを買って、翌日レースに出る、という人がいたら、「自動車のことを何も知らない、どうしようもないドシロート」だと思われる。
ところが、自転車はそういうのが当たり前だとなってきているようです。
いまから12年ほど前、江ノ島へ自転車で集まったとき、クロスバイクで来た人がいた。浜辺で昼食の後、私がその人のステムを見たら、角形の透かし抜きの入ったNC造りのステムに5か所ぐらいヒビが入っていた。
「これはヤバイんじゃないかな。いつパキーンと逝って、力かけた瞬間に突然ハンドルがとれてもおかしくない。大転倒して命にかかわる事故になるぞ。」
「あっ!本当ですね。怖っ!今日はソロソロ、ステムをかばって帰ります。」
我々はそのまま小田原まで走りましたが、その人はそこで離脱。
そういうユーザーと乗り物との関係が、どうもおかしなところへ来ている感じがする。自動車でもオイルと水とガソリンを入れれば、何も知らなくていいということは本来ありえないはずです。
レーシングカーでは有名でも、リコールばかりのメーカーもある。また、そういう家電スタンスを自転車へも持ち込む。迷惑な話です。
最終的に自分の自転車の調子は自分しかわからないのではないか?
ところが、過去15年間に出版された本で、乗り初めに軽く落としてみて異音のチェック、クイックシャフトやウイングナットのゆるみチェック、空気圧チェック、静止の時にまたがる際に、前輪のブレーキを強く握ってブレーキワイヤーとひきしろのチェックをしながら走り始めるなどの『儀式』を教えている技術本は見たことがない。
英国だと世界選手権3回制覇のレジナルド・ハリスとか全英オールラウンダー・チャンピオンのケン・ジョイなどは、練習で走り始める前にも必ずやっている。
私が自転車のコンポーネンツをコンピューター化した自動車のように「ブラックボックス化」することは、やがてそういう意味でつまづくと思っている。