むかし、こども向けSFドラマに「ニンゲンモドキ」というのが出てきましたが、どうもこのところ『モドキモノ』が増えて「ここまで本質が痩せたらどうかな?」と思うものが多い気がする。
学生時代に「古本の魅力」にとりつかれ、以来よく古本を買う。高校生時代、古本のほうが安くてモノが良いというのに気が付いたのは新鮮な驚きでした。
最初は布表紙の新書版の芥川の全集の一巻だった。活字は読みやすいし、製本は崩れないし、見たこともない芥川自身の河童の墨絵などが入っていて、以来古本屋がよいがはじまった。
このあいだ新刊本屋で、芥川の「河童」の入った文庫本を見たら、なんだこりゃというおひゃらけた河童の絵が表紙になっていた。まったくピンとこない。
私は周りの人で、英国へ旅行したりする友人がいると、よくブルフィンチの「中世騎士物語」を貸している。これを読んで古いお城や、アーサー王ゆかりのコーンウオールやサマセットへ行くとじんわりと染み入ってくる。
長らく角川のものは古い写本の絵や、タピストリーや、中世の絵画、そして19世紀の画家ビアズリーの挿絵が大量に入っていた。ビアズリーは日本の詩人にも愛され、萩原朔太郎は恩地考四郎に『ビアズリーばり』の挿絵を頼んでいる。
ところが最新のものでは中の挿絵がすべて省かれ、中世の騎士とは縁もゆかりもない絵が表紙を飾っていたので、やれやれと思った。
ではビアズリーの画集が本屋にあるか?というと新刊本屋で置いているところはまずない。便利になったようでいて重要なものは決して手に入らない。
「漱石の坊ちゃんはどういう表紙なのかな?」と思わず探し、買ってみることすらした(笑)。服装はまったく考証を間違っていて、明治に見えない。これが「旗本の末裔」で新興西洋かぶれの赤シャツと野だいこに天誅をくわえた男かな?と思った。漱石の「明治維新そのものへの懐疑と西欧化に必要なはずの土台不在の問題」がどこにこの表紙にあるのか?「サウサリートのお坊ちゃま」の間違いじゃないのか?
この絵の人物が何を着ているのかわからない。白いヘチマ襟のタキシードに黒いズボンか?「白いタキシードに上っ張りを引っかけたお坊ちゃま」?後ろの樹があんなに緑なのにコートというのもわからない。
いま、近代文学館がかつて作った、活字から紙まで同じに複製した初版本の復刻が、500円~800円ぐらいで古本屋で見かける。昔の活字の方が読みやすいし落ち着く。両者を並べて写真を撮ってみた。ほとんど値段が違わなかったらどちらを選ぶのがよいか?
世界的な活字離れで、シェークスピアのテンペストなどでも、ペーパーバックはどうにも古本から較べるといただけない。傑作の奥深さを味わうのに製本も表紙も活字も安物感が邪魔をする。
「内容が読めればいい」=「機能が満たされ便利ならばいい」。
さて、どうなんでしょう?同じですかね?私は違うと思う。最近はペーパーバックもすたれ、スマホで読む人がいるらしい。金💲(笑)。
では、紙の手触りとか質感はどうですか?ある雑誌社が出した川上澄生のMOOK本がありますが、ところせましと作品を並べ、テカテカした紙の端っこには広告まで載っている。
和綴じの『もとほん』を1ページづつ「挽きたての珈琲の香りの中で読む」のとどうなのか?私はMOOK本では風情がないと思う。多くのものが表面的にうわっすべりして通過してゆくだけ。
文学も絵画も情報化できませんから。
疑う人は誰でも知っているシェークスピアのハムレットに出てくる人物「フォーティンブラス」の『意味』を情報化してみてください。
私の頭の中では、ペーパーバックもMOOKも電子図書も『ホンモドキ』なのです。
さて、新しいクオーツの、スケルトンの懐中時計があります。時間は明治の商館時計より一日10秒ぐらいは正確かもしれない。しかし、手に取った時のチャチな感じ、「不満足感」はいかんともしがたい。
これも私の感性では『懐中時計モドキ』なのです。
全世界で毎年、安物プラスチックライターは数十億個使い捨てられている(80億個とも言われている)。私のは30年以上前のもの。たぶん死ぬまでこれでOK。たとえばカーナビ―・ストリートのチャーチルが葉巻を買っていた店の葉巻にプラスチックライターで火をつけますか?あるいは名演奏を聴いた後、ルービンシュタインが演奏の後一服していたのと同じキューバのロミオ・エ・ジュリエットの葉巻にコンビニのライターで火をつけるのでしょうか?ちなみに、葉巻は点け方があって、安物ライターでは「片燃え」する。良いライターで柔らかく点けないと美味くない。
やはり私はこれを『ライターモドキ』と言わざるおえない。
それで、巧みにつくった魚卵の偽物や蟹肉に似せた蒲鉾を食べ、人工合成肉を食べ、本物ではないビールモドキを飲み、スピーカーから音が来るコンサートモドキを聴き、『ジテンシャモドキ』に乗っていたら?
それはかなり危うい生活に思える。恐るべき『モドキへの道』。与えられたのが「豊かさモドキ」とか「人生モドキ」だったらとりかえしがつきません。