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Channel: 英国式自転車生活
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行動半径

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人間いつまで、どのくらい動けるものか、まったくわからない。

まわりを見渡すと脳梗塞、脳溢血の人はいるし、そうなると自動車の運転も自転車も無理でしょう。

まあ、私も長年人間をやっているので、七時間立ちっぱなしで作業をしていると腰が痛い。

誰でも行動半径はどんどん歳と共に小さくなる。

45歳ぐらいまでは、旅行用の自転車(ロードではない)で片道230km走って、一泊して60~80km走って、もう一泊して230kmは走って帰って来るくらいのことは出来ましたが、いまはとてもそんな気分ではない(笑)。

200km以上走れば、翌2日は完全休養。

事故で骨折したり、一部分を酷使すると、歳を取ってから必ず、そこへ来る。歳を取ってからの骨折は一気に筋肉も減り、体力も落ちる。なので、私は転倒などの事故を起こさないように細心の注意を払っている。

知らず知らずのうちに、反応速度も、動体視力も、視力そのものも落ちている。

走り方もずいぶん変わった。このところ、奥多摩方面へまったく行かなくなったのですが、『走って気持ちの良いところまで、雑踏道路を抜けて行くのが億劫になった』。

こころざし街道のほうがまだ良いのですが、それでも湖の手前が嫌でたまらない。

とは言いつつ、毎日買い物や用足しに、片道10km~15km離れたところまで走り、そのまま散歩でプラス20kmぐらい走るので、毎日50kmぐらいは乗る。

これがいつまで続けられるか。

英国では10km離れたところまでで、立派なサイクリングが成立する場所は普通にあります。日本は都市に住むと実に難しい。ひのたまはちおうじはまだ良い方ですが、場所によってはたいへんだろうと思う。

ヨーロッパだと、ベルリンでも、あの都市の中に自然のままの緑地があり、MTBのコースまである。

私は『都市の文化度は、どのくらい徒歩と自転車で住みやすく楽しいか?』ということが目安になる気がする。

これは、自動車でしか来れないようなところに面白い店を作っても、大規模にしない限り、経済的に成り立たないということがある。

日本は本来、サザエさんの商店街のようなところに、若者は若者向きの面白い小さい店が出来、その裏手は閑静な住宅地。高齢者は買い物に出るのが容易で、若者も町内で高齢者とうまく混ざって生活し、自然な形で世代交代できる町が向いているのだと思う。

若者の住みたいエリアの人気の場所は、東京では吉祥寺から荻窪にかけてとか、下北沢から代々木上原、原宿までの三角エリア、国立から国分寺にかけてなど、すべてこの原則にあてはまる。

また、実際、そのあたりはじつに自転車に乗った人が多い。

広尾・恵比寿から自転車で外苑前や原宿へ出るのも具合がいい。あのあたりの路地を自転車で抜けるのは良いものですが、その『空間感』は自動車では絶対味わえない。

そこへすっぽり砂漠からやってきた建築家の『巨大ヘルメット・スタジアム』を建てようというのだからわからない。

審査をしたANDO氏は、鬼面人を驚かす建築で名を成したかもしれないが、ヨーロッパ的にいうと『シビル・エンジニアの要素がない』ように私には思われる。

私は原宿ー明治神宮文化圏で幼年時代を過ごし、千駄ヶ谷の津田スクール・オヴ・ビズネス(彼らはビジネスと表記しなかった、笑)を塾替わりにしてかよったので、あの界隈の景観には人一倍愛着がある。表参道の同潤会の建築を破壊し、渋澤龍彦の『螺旋の建築』を読んで着想を得たような、なんとも、あのあたりにしっくりこないものが出来た時、私はずいぶん幻滅した。

私は表参道の裏の方に六年ばかり、英語の仕事をするときの事務所を借りていたので、そこを出て、並木道を歩いて、あるいは自転車で、代々木上原の方向へ抜けて、そこから下北沢へ出る風情は実に良かった。

藤田嗣治のおいのシャンソン評論家、芦原英了が散策し、岡本太郎が住み、川上澄生が一時期を過ごした山の手文化の場所です。そこへ関西出の「空気を知らない人」が、無関係の『一発芸的な建築を建てるのは許しがたい』。しかも建築家というのは、「基本、自腹で物を作る人たちではない」、そういう人たちが自己顕示に走れば、「人の金で、その人ひとりの自己顕示をして遊んでいるわけです」。その金が将来的にも維持費が巨額になるというのだから、ますます許しがたい。少なくとも「ANDOさん、あの人を選びヘルメット・スタジアム作ってくれてありがとう、大事にします」とは私は決して思わない。

自動車で、表参道や代々木八幡、代々木上原を走っても何の面白味もない。

その町がどういう乗り物、あるいは徒歩で移動した時、景色の変わる速さや「音楽で言えば転調の具合」がよくないといけないと私は思う。

ちなみに武者小路実篤が根城にしていた仙川にもANDO建築があるが、ほとんどの人が気が付かない。普通の、英国郊外に突然あるTESCOの建物のよう。無味乾燥で、まわりの畑からとれる野菜で日替わり野菜カレーを作っている店があったような風情にはとても合っていない。いわば成城の裏庭の田園だったような仙川にソヴィエト時代のソホーズの宿舎のような現代的直線デザインのセメントANDOの面目躍如たる建築が立っているのは私は違和感を感じる。

昨日のニュースで、エヴェレストに登る時は、必ず自分とその他の人の排泄物を8kg持ち帰らないといけない法律が出来ると言うことでした。毎年あまりに登る人が多いので、山が排泄物で茶色くなっているという。さらに上の方に行くと遭難した人のDead bodiesがいっぱいある。山頂に立つ人、その周囲にDead bodies、その下には排泄物がおびただしくある、、、なんだかものすごく象徴的な図だと思える。

観光地など目指さなくても、自分の住んでいるまわりでうろうろしているだけで楽しく、心なごむのが本当なのではないか?

ヨーロッパの古都へ行くと、自転車のフレームに板を付けて、その板に「観光客はここでは歓迎されていない」と書いている住民がけっこういるのに驚きました(笑)。バースなどには立札にそう書いてある(爆)。タイのお寺でもトイレが汚されるので、某国の観光客はお断りの札を出したらしい。

たぶん、自転車に乗っている本当の幸福感というのは、必ずしも名所や距離には左右されないのだと思う。

さらに一歩進めていえば、いよいよ、健康の問題や高齢のため、その自転車も乗れない状況になったら?

それでも、自分の居場所がカフェのようで、好きな本を読み、好きな音楽を聴き、好きな珈琲・紅茶が自分で淹れられ、仲間が自転車で出もやってくれば、「夢は枯野をかけめぐる」のだろうと思う。

私ならそういうライフスタイルが可能なところに住みたい。

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