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Channel: 英国式自転車生活
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自転車を日常に使う意味

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日曜日は東北の被災地のほうから友人がやってきまして、2年ぶりに日野多摩地区を二人で自転車で乗って歩いていました。

喫茶店に入って雑談、また走って、また友人のお店に座り込んでまた雑談。2年間の、電話とメールだけではおぎなえきれない部分のキャッチアップ。

もう一部の方たちは御存知と思いますが、ドイツのZDFの「フクシマの嘘」というドキュメンタリー番組があります。これはぜひとも見て欲しい。「日本国民が知らされていないような基本情報がヨーロッパでは報道されている」というじつに興味深い現実がかいまみえます。

これはドイツのテレビ局のジャーナリストが、防護服で完全装備して、外見からは海外の人だとわからない姿になって、取材したり、かなりの力作だと思います。

驚くべきことに菅直人前首相が、日本のマスコミには決して語ったことのない、事故当時の状況などを赤裸々に語っていることで、「どうしてこういう日本国民すべてが判断の基本知識として知らねばならないような事実を、海外のメデイアは伝え、日本のメデイアは伝えないのか?」という大きな疑問がわくのを禁じ得ません。

インタビューの最後のほうに、東電の関係者がそのドイツのクルーに質問されていたのですが、たとえば、汚染水が漏れたことにたいする質問の答えのなかで、「排水ホースが雑草によって損傷されたため」というような内容の答えをしていました。そのドイツのジャーナリストは屋外で使うことがわかっていたホースが雑草でダメになるということが、理解に苦しむと言う内容のことをコメントしていました。

また、ここまでの放射能汚染と、除染や敷地内の融けた汚染燃料処分の終息の出口が見えない中で、安全に原発を運転してゆくことが可能かと思いますか?と、すでに起きてしまったこの惨状をまえに言い切れるか?と問い詰めていました。二人の関係者は笑って「それは難しい問題ですねぇ」、と返す言葉につまり、もじもじするばかり。

あそこで「笑った」のは、諸外国ではたいへんな問題になるでしょう。沈鬱な表情で言葉に詰まる、うるんだ眼で言葉に詰まる、なら許される。西洋文化、中東文化などに通じておられるかたなら自明のことですが、あの笑いは理解されないし、許されない。あれで東電は全ヨーロッパを敵に回したと言って良いと思います。長年、海外の仕事をして、通訳養成所で教えていたこともある私が断言します。

週末はNHKで浪江町の人たちが町を捨てて、どこか別のところでやりなおすか、あるいはみんなで町へ帰るか、ということのドキュメンタリーをやっていました。しかし、番組にはどこかヴェールがかかっているような気がしてなりませんでした。除染のことは、その限界のことなどは一切ふれない。「国が2年以内にやってくれると言っている」という言葉だけが複線にはられていました。しかし、私が聞いたところでは、アスファルトの道路はすべて剥さない限りは除染はできないという話です。また屋外のブランコやシーソーの木材などや木造家屋の外側なども洗っても落ちない、屋根瓦も難しいといいます。

果たして2万数千人の人口の町で、それをやるとなったら、どれほどの人員と費用がかかるのか?

セシウムは半減期は30年ほどですが、30年経ってもやっと半分。また通常のガイガーカウンターで検出できないプルトニウムとかの線量マップは存在するのか?

また、かつて国の除染対策に関して科学者としての良心から怒りをぶつけていた、アイソトープ研究所のあの科学者の方が出ていました。しかし、NHKは誰に気兼ねしているのか「専門家」というだけで、その方の肩書きも名前も一切告げず。その方のコメントもカット。東電に気兼ねしたのでしょうか?

お年寄りたちの多くは帰りたいに決まっています。国も東電も、それで帰れる人たちから帰してしまって、自分たちの責任は先送り、一件落着させたかの外見をとりつくろい、帰りたい人と帰らないことを決めた人を分断して、一大勢力になることを未然に防ごうとしているようにも見える。

NHKのドキュメンタリーには、まったく踏み込みと切り込みがなかった。

国にも、東電にも、ふがいない日本のジャーナリズムにも、私は腹が立ってしかたがない。どじょう総理がほっぺたをふくらまして「不退転の決意で」「存在意義をかけて」増税だと力みかえっていましたが、ねぼけるな「原発のこと」「東北のこと」が目下の最重要・最優先課題だろうと怒鳴り返したい。

その日曜日にきた友人は、小系自転車をもっていますが、東北では地震のきずあとで、地面のひび割れ、段差その他があってきわめて問題があるのだそうです。スクーターなどもけっこう苦戦するらしい。

これは東京・関東も考えておいたほうがよい話で、地震災害時には、最低地上高の低い大型スクーターやアメリカ式の大型バイクは使えなくなると考えたほうがよい。あるいは中型程度のバイクでも、倒れた歩道橋ひとつ、電信柱ひとつで、もう身動きがとれなくなる。自動車ばかりでなく、そういう乗り物も無力化するのです。なによりも燃料の問題がある。

いまもあるのかどうかわかりませんが、B社が災害時用のパンクしない小系ソリッドタイヤのワンタッチ・Piクniカを出していましたが、たしかに、その友人の言うとおり地震災害の後で、小さい車輪系の自転車では障害物だらけで走れない。

ロードではタイヤがなによりも細すぎる。液状化で泥があがってきたら、泥詰まりでビンデイング・ペダルは厄介者となる。障害物の多いところを押すにしても、ガラスの破片からなにから、あらゆるものが詰まる可能性がある。だいたい、そういう状況になったら、ギア比配分が高すぎる。

そうすると、「どんな靴でも、たとえ長靴でも作業靴でも乗れる両面踏みペダル」、「いざとなったらタイヤを太く入れ替えられ、万が一の時は荷台と泥よけが付く」、「その気になったら100kmでも200kmでも楽に走れる」、「アップハンドルで視界がよく、どのような服でも乗れる」、、、そういう自転車ありましたね。しかも福島産の世界最高のフレームチューブで。

私にとって、最重要なのは「毎日使う自転車」。これは考えると面白いと思うのですが、高性能スポーツカーや大型車輌に、数十年乗って来た人が、「一生涯にどれだけの燃料も燃やしたのか?」。どこへゆくにも自転車の私は、たぶん、驚くほど少ないはずです。

そういう人たちが、デンマークやオランダのように増え(一人当たりの自転車年間移動距離が世界一の2つの国です)自動車の排ガスも、使用燃料も削減できれば、原子力なんかいらないわけです。

そして、24時間営業だの24時間都市だとかいう考えもやめる。いまだに覚えていますが、私が中学時代のときでも、法事のために夜中の2時~3時に車で出発したことがありますが、その当時、歩いている人も、開いている店も、すれ違う車も少なく、自動販売機などもほとんどなかった。それから半世紀たたないうちに、日本は大量エネルギー消費社会をつくってしまった。

テレビのチャンネルなんか増やさなくていい。それより番組の質をあげてくれ。

英国に最初に行った頃、屋根裏の部屋に住んでいたのですが、そこには「コインを入れてネジを巻く、電気ボックスが付いていた」のを思い出します。それを長持ちさせるのに、深夜は15wとか20wの読書灯のみ点けて本を読んでいました。そのケチさかげんはいまだにつづいています。

のどもと過ぎれば、に終わらせず、日本はエネルギー消費構造を変えないと未来はない気がします。

地球温暖化とCo2の関係は切り離せませんが、一方で「電力と経済活動、電力と金儲け」もある種の関数で関連している気がします。どんどん使って儲けたい人はたくさんいる。しかし、今は、「いかに経済活動を活性化するのに使われるエネルギーを増やさず、逆に豊かさを損なうことなくエネルギー消費を段階的に減少させるか」が問われているのだと思います。

「普段は自動車、たまの休日の運動のためにスポーツバイク」、ではなく、「常に、エンジン付きではなく自転車」というのは、現代においてはもっとも強力な、環境と人類の未来に対しての責任を考えているというステートメントになると私は考えます。

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