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Channel: 英国式自転車生活
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地球に閉じ込められる日

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ここ数日、ずっと考えていることがありまして、それは、全世界規模というのか、地球規模で階層わけが進むのではないかな?ということです。

いまや、日本で変速器のメーカーは、実質ただひとつなわけで(自国内で作っているという意味で)、世界的に見ても、名の通ったところは3つしかない。

さらにリムのメーカーやヘッド小物のメーカーも傘下にいれ、ハンドルバーのメーカーも傘下にいれ、チェンメーカーも傘下にいれ、そして少しづつサドルのメーカーなどへも手をのばしている。

ここまで一か所に権力が集中すると、その分野がすべてそこの会社の意向にそって動くので、雑誌や書籍もうかつなことは書けなくなる。やがて3社が2社になったら?

これって、「いっとーどくさい」のきょーさんこくと変わらないのではないかな?と思う。

同じことは他の分野でも進んでいると思う。軽自動車などでも一つのところが3社ぐらいのものを作っているわけですから、こちらもやがては、自転車のフレームを芽利陀とかPaciフィックが何社のものも作っているのと同じようになってゆくのではないかと思う。

コンピューターのほうでも状況は似ているのではないか?

あと30年後を考えてみると、全世界の会社の数は実質ものすごく少なくなり、一分野に世界で2~3社、あとは奴隷のように働かされる無数の下請けという構造になるだろう。

酒の分野でも巨大企業が飲み物関係を押さえまくり、4社ぐらいの巨大なところが圧倒的な力をもち、輸入の酒も、この3つぐらいが輸入しているのがものすごく増えた。日本(-。-)y-゜゜゜はそのために飲み物から撤退することを決めたと言う。

そうすると、やがては一般民間人はただ一社の売る変速器しか選べず、軽自動車を買う人はS印を買うかD印を買うかの選択しかなくなり、ソフトドリンクではポプシコーラとコケコーラかのどちらか、あるいはポッカリ珈琲、朝比ぐらい。あとはスーパーもオミットとか、売るマートとか、あとは711と老孫と家庭マートぐらいしか残らず、ほかは吸収統合されてゆくのではないか?弁当なども販売の法規制が強まるようであり、そういうところのものとフランチャイズの店のものしか選べなくなる日は近い。

今すでにKO電鉄の沿線では、電車会社が経営する書店ばかりになっている。スーパーもデパートもタクシーもKO。そういう書店のあり方は増えている。しかも、ここ5年ぐらい、厳しく糾弾する内容の週刊誌などは、その週だけおかれていなかったりする書店も少なくない。系列や背後の会社に気兼ねしてでしょう。

知らず知らずのうちに世界はきょーさんこくに近づいているとしか思えない(笑)。

そういう巨大化したところはせーじを動かす。情報も管理される。個人はソーシャル・セキュ利亭・番号で一元管理される。

そういう世の中では自分の会社も、取引先もSNSを見るでしょうから、『常に自分の本音を隠して生きなければいけなくなる』。

やがては、「アイツは本当にこんなに収入低いのかな?」などとドローンで監視されたり(爆)。

なんたって、『潜水艦はイ号、カメラは観音』で知られる観音カメラが、そうした監視用の機材への方向へ舵をきることを決めたと言います。

農家はギルドみたいなものが解体させられてゆくのですから、病米利化國の超巨大穀物価格決定集団のパワーにかなうわけがない。やがては、みんな農家も会社のヒラ社員化するのだろうと思う。

世界はいまや、人類はじまって以来の不自由な世界の入り口に立っているように見えてならない。

ひのたまはちおうじの自転車の駐輪場は、3月を過ぎると、多磨ではひとつ残らず有料になる。これはどういうことかというと、一日に3回4回、別の駐輪場に停めて買い物をしたり、郵便局などで用を足していると、自転車の駐輪代金でひと月の駐輪料金が自動車の駐車場代を超えることになる。

駐輪場に関しては、かつて駅に駐輪場をつくるのを法で義務化させようとした動きがあったのを、鉄道会社が大反対してつぶしたいきさつがある。駅の近くに駐輪場なんかつくっていたら儲けが減る、ということでしょう。

とにかく、金、金、金。

さらにパソコンや携帯を持っている人からもイヌあっちイケーは徴収する気でいる。たぶん法律も改正されるだろうし、そうすると、ホーソーとネット上での情報発信とどこに線を引くのか?これは大きな問題を含んでいる。なんらかの網をブログや動画アップにも将来的にかけてくる可能性がある。

これほどの「不自由な世の中」というのは、私の青年時代、考えられなかった。

ひとつの「組織」の中で、上へ行くということは、その組織の「価値観を受け入れる」ことをしないかぎり不可能。それは「自由に思考することの停止」を意味する。

「自動人形のように組織にプログラミングされた頭の中で生きて行き、出世して、物質的な成功だけで楽しいのか?」。

そうした頭の中の精神の自由を奪われることがいかにつらいかは、かつての宗教の世界での「異端審問にかけられて、即、火あぶり」とか、きょーさんしゅぎの思想取り締まりでさんざん人類は懲りたのではないのか?あるいは、ちゅーとーで、いま行われている教育のこと。

それと同様のことが、もっと巧妙に、世界規模で大きな網がかけられようとしているように見える。

その人の学歴も職歴も、偏差値も、どのくらい優秀な人とつきあっているか、どの程度の健康で、頭脳明晰な家系の出か、SNSにリファレンスをかければ即座にわかる。

こんな恐ろしい社会は過去2000年間、存在しなかったのではないか?

バートランド・ラッセルの本の一節をアップしておきますが、これは等しくちゅーとーの宗教にもあてはまると思う。そしてそれは、ほんの一握りの超巨大企業が全世界の秩序をコントロールしようとするこれからの世界の世論コントロール、価値観コントロールにも等しく言えることだと思う。

バートランド・ラッセルはアメリカのジョン・デューィのプラグマティズムを激しく批判して、西洋哲学史の中で、みごとに綺麗に論理的にジョン・デューイの哲学の破綻と問題点を説明して見せた。

しかし、私にはグローバリゼーションと、一部の企業の超巨大化、貧富の差の拡大、その金を道具としてさらに儲けて格差を広げて行き、その過程で大衆を言いくるめて行く病米理科式のやり方のなかに、

『真理を道具主義的なものとして捉える、デューイと同様の過ちが、経済的成功をちらつかせながら、インターネット上で目まぐるしく変わってゆく情報の流れを操作して、暫定的な真理の幻影を抱かせるやりかたに見受けられる』

これにより、デューイの悪い部分が、宗教ならざる宗教として、情報中毒の仮面をかぶって復活してきていると思う。

このグローバリゼーションの波は、地球がひとつの逃げ場のない『鉄のカーテン』の中のような息苦しいものになるのではないかと、私は危惧している。

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