本日は懲りずにこのあいだの店に行きました。
前回は「レジェ」という(フランス語で軽いの意味)珈琲が実は「アメリケーヌ」であったことがマイナスに働いたのか?はたまた、偶然にフィリングが不味いのを注文したせいかな?と好意的に考え、再挑戦してみました。
今回は通常の珈琲をとってみた。う~~~~~ん。コメント不能。「民はこれを仏蘭西風と考えているのでおじゃるか?巴里へ行って『くうぽうる』や『かふぇ・で・ふろーる』へ行ってみるがよかろー」。
「おすすめ」にしたがって注文したらよいのかもしれぬ、、とおすすめのピッツァをとってみる。皮がなにやらピタパンを天麩羅油で揚げたような、ぬっぴょりとした生まれて初めての食感。
「う~~~~~む。『セ・ディギュラス』」(おフランス語でdisgustingの意、strong aversion)。
すこし気を取り直して、「甘いものなら良いのかもしれない」とエクレールなどを買って帰った。
和菓子の世界では砂糖にはものすごくたくさん等級があります。ダメなところの饅頭は上白糖そのまんまみたいな「くどい甘さ」になっている。
仏蘭西でも、ほんとうは砂糖にはこだわる。コクトーの小説「レゾンフォン・テリブル」恐るべき子供たちのなかには、ショック症状の姉弟のために『ホンモノの砂糖をもってこさせる場面』がある。上質な料理には上白糖みたいなものは使わない。
しかし、このエクレールは食べると砂糖じゃりじゃりでいけませんでした。いつまでも砂糖だけの味が残る。皮もパッとしない。日本人は砂糖の質がわからないと小馬鹿にされているのではないか?
エディット・ピアフの「オートバイの男」がかかっていましたが、歌詞がわからない人は幸せ。私は「踏切につっこんで列車に轢かれて果てるバイク乗りの唄」を聞いて、パイ生地の上の赤いものが別の物に見えた。
商業的イメージのために半世紀以上も前の1936~1963年ぐらいの音楽をかける。これは北米式と似ている。彼らもジャズばかりかけますから。ロンドンなら「今」の音楽をかけて勝負する。
訊いてみたかったのは、
「おたくは日本市場で北米カフェを意識していますか?」
答えは「ビャン・シュール」(もちろんですとも)だったりして(笑)。
フランスは日本人が考える以上にアメリカを意識している。シャルル・トレネも常にジャズ風だったし、フランスでは「ジャズかぶれ」という意味の「ザズゥ」と言う単語もあったぐらい。
多摩にあるイタリアで賞を取ったパテシエの店のエクレールのほうが100円以上安い。私はそっちのほうが別次元ではるかに美味いと思う。
雰囲気がいかにフランスっぽくとも、この味では私は再び行くことはない。
『ぬっぴょんピザ』が出てきた時はキレそうになった(笑)。