世界音痴。正直な話、ここ2週間ばかりニュースや報道を見ているとそういう感じがする。
まあ、こういう世相になってきたので、どうしても言っておきたい。何年か前、あるテレビ番組で議員さんが口角泡を飛ばして、「まずは苛苦を叩き、その次は意蘭なんだ。それは確定しているんだ」と叫んでいた。ほんとうなら恐ろしい話だと思う。
かつてアメリカは意蘭のパーレビを支援して、急速なアメリカ化を推し進めた。そのパーレビはたいへんな圧政を敷き、国内ではそれに対する反発と、急速なアメリカ型西欧化を推し進めたが人々はそれを嫌った。その変化に対して彼らはNOと言ったわけです。
ここでアメリカは彼らのあの地域での外交に最初の土を付けた。
以来、彼らは意蘭を抑え込んだ。そして今度は苛苦を支援して、彼らを一大軍事国家に仕立て上げた。そして、今度はそれをつぶした。その残党が支離亜へ行って暴れている。
ここでも彼らのもくろみは外れ、外交は失敗している。
捕われの人となった人が、インタヴューで「彼らは日本人に友好的なんです」と言っていた。しかし、それはなぜか?彼は考えたことがあったのか?日本はあの地域で積極的に武力で関与してこなかったからでしょう。
そういうところへ、虜囚とりかえしに自衛隊を派遣して、力づくで取り返せると本気で思っているのか?私はそれは泥沼への道であると思う。
いまやアメリカも世界のあちこちから兵を引き上げつつある。そういう中で、あえて派遣する方向性なのか?歴史的にかかわらざるおえなかった英国ですら共同歩調をやめた。
『はるか彼方の地で武力を用い、自国は繁栄を謳歌する』これが長らくアメリカ型のやりかただったと思う。またその武力を支える産業が国の産業の中核にある。砂宇土王国があれほどのOILを産出していながら、貿易収支は驚くほど悪い。そう言う立場に引き込まれた砂宇土王国の背景を周辺の国の人たちは良く承知している。
日本の過酷な受験教育の中で、どれほどそういうことが教えられているのか?
私は学校の修学旅行などには、北米やオーストラリアなどに行かせず、治安の良い意蘭へでも行かせた方がいいと思っている。世界で数十億の人が信じている道徳律を目で見て、いかに日本が野放図で特殊か理解してくることは無駄ではない。
私がむこうで見た光景で忘れられないのは、公園などのいたるところで、無数の家族がピクニックをしていたこと。家族全員でなごやかに草上の食事を楽しんでいた。あのような素朴な幸福感はいまや日本では滅多に見ない。youtubeで見てみたら、今でもまったく同じだった。
もっと儲けて、もっと金を握るため経済成長して、、これは果のない欲望のエスカレーターではないのか?経済大国になって家族のだんらんはどこへ消えた?家族がほどけ、親子でもKOROSIあうニュースが絶えない。
特に意蘭は苛苦との戦いで、平和のありがたさを知っている。日本はゲーム感覚で近代装備すらあれば勝てると平和ボケしているのではないか?
そういう関与の仕方は、半世紀以上、どことも一戦交えていないという世界でも少数派である『最も有効なカード』を手放すことであると私は考える。