最近はあまり多くを望まない。病気をせず体調がよく、好きな仕事ができ、ストレスがたまらず、美味い身体に良いものを食べ、良い人に囲まれ、美しいものと自然と暮らす、ということでしょうか。
身体に良い、美味いものというのは、別に高価な珍味を意味しない。ご飯にシラスでも納豆でも美味いものは美味い。シラスとパンがあればイタリア料理も出来る。これはまた「料理・食事」で書こうと思います。
あとは美しいもの。
これも、別に高価なものが美しいとはかぎらない。
それと「ほんとうの美は古びない」のも好都合です。
タイムレスな美しいものを安く手に入れ、そういうものに囲まれて、商業主義に振り回されず、のんびりと大またに暮らす。
最新型を追いかけて、6年ぐらいで必ず買い換えたくなるものを使っているのでは、『蜃気楼を追いかけるよう』で、一生追いかけて終わるのではないか。
私のテーブルはすでに35年使っている。たぶん一生これで何の問題もありません。
昨晩は焼き魚と納豆、根菜類の煮物でしたが、あきません。
お茶の時間は、なまの刻みタマネギとガーキンのみじん切をシュレデッド・チェダーとまぜてパンにはさみ、リー&ぺリンのウースターソースをかけて、紅茶の時間にそのサンドイッチを食べた。
英国時代から何十年、何百回も食べていてもあきない。
インスタントや立ち食いの蕎麦は嫌だけれど、つゆから自分で作った蕎麦はあきない。
そもそも、握り寿司だって、生まれてからみんな数知れぬほど食べてきていて、あきないはず。それが美味ければ幸せなわけです。「飽きたから、ドジョウの踊り食いの握り寿司」などとは誰も思わない(爆)。
飽きない、一生誠実に使える、あるいは主食にできるものに出会えた人は幸せなるかな。