Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

憩いの場

$
0
0



ここ10年ぐらいの間に、ひとつ私が気が付く変化は、『日本で家の中も外も同じ』という人がずいぶん増えた気がする。

これは1990年より前には、私は少なくとも1度も見たことがないのですが、コンビニの前で座り込んで酒を飲む、あるいは食事をするのをけっこう見かけるようになった。

これをもし、ヨーロッパや北米、その他の文明国でやったら、多くの場合『逮捕される』とということをやっている人たちは肝に銘じたほうがよい。洋の東西を問わず非常識なわけです。

ヒンズー教徒のインドの人たちは、インド音楽を食事中にならすと激怒する人が少なくない。
『音楽は神様に捧げるもので、食事は神が自然を通じておめぐみくださったものだからおろそかに食べてはいけない。感謝の気持ちで食べ、自分が食べられる以上に求めてはいけない。』
という人にけっこう会いました。

路上で座り込んでおかずまで並べて食べている人を見て、「ああ、今日もまた。」と思った。

電車のドアの近くに座り込んで食べている人も少なくない。女性でも電車の中でパンを食べたりしている。

ヨーロッパで、朝、音楽の鳴っていない静かなカフェで、珈琲を飲みつつ朝食を食べ、新聞に端から端まで目を通す。こういう当たり前のことが今の日本では難しくなった。

今日の夜は、学生向けの老舗の店へ行ったのですが、カウンターの若者の6人がスマホを片手で操作して見ながら食事をしていた。

食べ終わると、調理してくれた人に何も言わず、スマホに目を落としながら無言で出て行く。

調理してくれた人への感謝も、野菜を作った人への感謝も、家畜を育ててた人への感謝も、人に食べられた動植物への感謝も知らない。

『食べたものは自分の身体になる』という意識すら薄らぎ、空腹を止めるためだけに食べることになっているのではないか、と思う。

犬も通り、フンをするだろうし、鳥の糞も落ちて粉になって舞っているだろうし、汚いと思わないのか。

これはオリンピックやって、そういう食事をぞんざいに食べるところを国外の人に見られたら国辱だなと思う。

北米系のコーヒー屋に、『だらしない人たちに喫茶文化を教えてやっているんだ』などと言われるのも嫌だ。我々は出島経由でオランダ人から珈琲を江戸時代から教わっている、茶道もある、食事作法もある。なのに、上着を路上に投げて食事というのは、まったく理解に苦しみます。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>