ずいぶん前のことですが、神保町に鉄の扉の美術書専門の古書店があって、そこでポンペイの封鎖された遺跡の写真集をパラパラと見たことがありました。『ポンペイの絵呂チック・アート』というものではなかったかと思う。
その中の考古学者の説明が面白かった。うろ覚えですが、あの狭いポンペイに40を超える売瞬窟があり、同じような怪しいBATHがいくつもあり、貴族の館のような、広大な庭のある神殿のような貴族・上流の人たちのやはり怪しい場所が9つほどあったと書いてあった。人口数千人のところにしてはすごい数だなと思った。
そういうところの壁画が集めてあった。
ポンペイは火山灰でそのまま埋まりましたら、そういうものが残っていますが、ローマも大同小異であったらしい。哲学者や優れた彫刻家を多数輩出したギリシャとはずいぶんな違い。
ローマではそういう場所を所有するのが、富と権力の象徴と考えられていたと言います。国中にヒュー・ヘフナーやボブ・グッチョーネが満ち溢れていたようなものです(爆)。悪名高い皇帝カリギュラはそれらの施設をすべて自らの皇帝の館にまとめる命令を出した。
古代ローマはちょっと異色の存在でした。
私はそれを見ていて、どこかアメリカの文化に似たところがあるなと感じました。その古代ローマの末裔のイタリアでは、自動車も現実離れした性能のものが多数つくられている。コロッセウムの戦いを見るように、自転車レースを見に行く。選手は一種のグラデュエイタ―かもしれません。
ローマ時代の戦士の戦い方のデモンストレーションを見たことがありますが、片手に武器、もう片方に縄で作った網を持っていた。それを投げて引っ張るとカブトや剣にからまる。それを引き寄せて剣を使う。「卑怯だな」と思いましたが、合理的(爆)。
そのアメリカで、ある大学がなぜ大型のモーターサイクルに水着の女性を組み合わせたポスターを作るのか?という研究をして、学生に男性が上半身裸で海パンいっちょで革のブーツをはかせ、バイクにまたがらせ、「これを女性が楽しめると思うか?」という調査をした。男女ともに「見たくない」の答えが圧倒的でした。
その昔、仁さんの引っ越しの時、彼が自転車を彼曰く「意味ありげにスーパーカー風にするため」の参考に、スクラップしたイタリアの自動車のノートが出てきた。
「これってさ、水着の女の人の写真見てるのと同じだよ。R&Fさんそう思わない?」
そういわれて、核心ついているなと思った(爆)。
「だいたい男はものを集めるけど、女の人で自転車何十台も集める人なんかいないよ。」
「あれは、きっとハーレムの代わりなんだよ。R&Fさんも気を付けたほうがいいよ。イヒヒ。」
「よしっ!、オレも中東式に3台まででやめる。」
2人で爆笑しました。
心理学的にいうと、自動車の中に入るということは、母体回帰と結びつくらしい。つまり、もっとも美しい自動車に乗る、、ということは「実際よりもっと美しい母親から生まれたかった」(もっと美男子に生まれたかった)という心理の裏返しなのではないか?それが高性能なら、自分の力が何百倍にもなる。
それが手にはいるということは『パワ~~』(身体的ちからと権力)なのでしょう。
その延長線上で自転車のことを考えると、ふっとふっきれるところがあるように思う。自転車は素朴な自分が納得できるものがいい。
その中の考古学者の説明が面白かった。うろ覚えですが、あの狭いポンペイに40を超える売瞬窟があり、同じような怪しいBATHがいくつもあり、貴族の館のような、広大な庭のある神殿のような貴族・上流の人たちのやはり怪しい場所が9つほどあったと書いてあった。人口数千人のところにしてはすごい数だなと思った。
そういうところの壁画が集めてあった。
ポンペイは火山灰でそのまま埋まりましたら、そういうものが残っていますが、ローマも大同小異であったらしい。哲学者や優れた彫刻家を多数輩出したギリシャとはずいぶんな違い。
ローマではそういう場所を所有するのが、富と権力の象徴と考えられていたと言います。国中にヒュー・ヘフナーやボブ・グッチョーネが満ち溢れていたようなものです(爆)。悪名高い皇帝カリギュラはそれらの施設をすべて自らの皇帝の館にまとめる命令を出した。
古代ローマはちょっと異色の存在でした。
私はそれを見ていて、どこかアメリカの文化に似たところがあるなと感じました。その古代ローマの末裔のイタリアでは、自動車も現実離れした性能のものが多数つくられている。コロッセウムの戦いを見るように、自転車レースを見に行く。選手は一種のグラデュエイタ―かもしれません。
ローマ時代の戦士の戦い方のデモンストレーションを見たことがありますが、片手に武器、もう片方に縄で作った網を持っていた。それを投げて引っ張るとカブトや剣にからまる。それを引き寄せて剣を使う。「卑怯だな」と思いましたが、合理的(爆)。
そのアメリカで、ある大学がなぜ大型のモーターサイクルに水着の女性を組み合わせたポスターを作るのか?という研究をして、学生に男性が上半身裸で海パンいっちょで革のブーツをはかせ、バイクにまたがらせ、「これを女性が楽しめると思うか?」という調査をした。男女ともに「見たくない」の答えが圧倒的でした。
その昔、仁さんの引っ越しの時、彼が自転車を彼曰く「意味ありげにスーパーカー風にするため」の参考に、スクラップしたイタリアの自動車のノートが出てきた。
「これってさ、水着の女の人の写真見てるのと同じだよ。R&Fさんそう思わない?」
そういわれて、核心ついているなと思った(爆)。
「だいたい男はものを集めるけど、女の人で自転車何十台も集める人なんかいないよ。」
「あれは、きっとハーレムの代わりなんだよ。R&Fさんも気を付けたほうがいいよ。イヒヒ。」
「よしっ!、オレも中東式に3台まででやめる。」
2人で爆笑しました。
心理学的にいうと、自動車の中に入るということは、母体回帰と結びつくらしい。つまり、もっとも美しい自動車に乗る、、ということは「実際よりもっと美しい母親から生まれたかった」(もっと美男子に生まれたかった)という心理の裏返しなのではないか?それが高性能なら、自分の力が何百倍にもなる。
それが手にはいるということは『パワ~~』(身体的ちからと権力)なのでしょう。
その延長線上で自転車のことを考えると、ふっとふっきれるところがあるように思う。自転車は素朴な自分が納得できるものがいい。