昨日、八S出版社が新刊の自転車の歴史の本を送ってきてくれまして、それに関して寝る前に調べ物をしていたところ、偶然、明治時代の理髪店の絵を見つけました。
その理髪店の鏡の前には、山小屋のような吊りランプがある。ちょっと調べてみたら、ランプが廃れる境目は明治30年前後という。さらに山岳地のほうなど、電気をもってくるのに難しいところは昭和の初めまでランプが使われていた。
私にはこの「30年」というのが興味深い。自転車の世界でも30年間の変化というのは一つの周期をつくっている。1920~30年代の自転車が1960年代にどうなっていたか?1960~1970年代の自転車が2000年代にどうなっていたか?これはピッタリ栄枯盛衰のサイクルが合う。
同じことはスキーや登山、自動車のほうでも同じでしょう。英国のバッフォードと言えば学術書で有名なところでしたが、そこの青少年向けの人々の暮らしの変化、という全集で、やはり30年区切りになっていたのをぼんやりと思い出しました。
100年でだいたい人間は4世代交代する。自分のひいおじいさん、ひいおばあさんの記憶がある人は少ないでしょう。それは両親や祖父母の生活様式や価値観を通してしか伝わらない。
親がモーレツ社員でこどもの顔も見なかったりしたら、そういう世代間影響はずいぶん薄れる。
先日、タイへ行って出家してきた友人が、「R&Fさんが鴎外の話をよくするんで、朗読のソフトを入れて、夜聴いていたんですよ」と言われた。
「もう見ただけで、これダメって思ったんで学生時代以来読んだことなかったんですけど、聴いていると何とも言えない爽やかで濃縮された味わいありますよ。今はああいうのないですね。」
との感想。
みんな意識していないけれども、鴎外も漱石も『ランプの時代の文学』なわけです。
いや、詩人のジャンコクトーが社交界の花形だったとき、帰って来ると、いつも彼のいたオテル・ビロンの彼のフラットの向かいにランプが灯っていたと言います。それはロダンの秘書をしていたリルケの部屋のランプだった。
つまり、ボードレールもリルケもマラルメもヴァレりィも上田敏も漱石も鴎外も、蛍光灯や白色電球の下で読み書きしていたわけではない。ましてや電子図書で読んでいたわけではない。
ランプを使ってみるとわかりますが、「時間の流れ方が変わって感じる」。夜が長く感じられる。
どうしてそんな本がうちの自転車の棚にあったかというと、かつての日本、いや幕末ー明治にすら『山へ登るのは特殊な人たちだった』というのを、サイクリングとのからみで、海外の国際会議で発表したことがあったからでした。
昔は行者、山伏、大山参り、富士講など、山岳信仰のほか、普通の人が山へ登ることはほとんどなかった。人々は山を畏れた。猟師などは、山の神の怒りに触れないように供え物をして、儀式をしてから登った。
かつて九州の鬼界カルデラが噴火したとき、九州から広島ぐらいまでは人が住めなくなったらしい。縄文の人たちも大部分は、関東やさらに北へのがれました。そういう記憶と口伝えの伝承が、山に関するこれほどの多くの山に関する神社と関係しているのだと思う。
山の持つ莫大なパワー。戦国時代、武将は羽織の背中に噴火する不二山(北斎をはじめ昔の人はこう書いた)を描いた。「オレが爆発したら手が付けられないぞ」という意味だったに違いない。
このあいだ富士の裾野に行ったら、かつて山へ登る人が身を清めた8つの泉のあたりは完全に観光地になっていて、忠獄呉が飛び交い、綺麗な箱庭のようで、どこかタイガーバームガーデンに似たところがあった。
振り返ると、1970年代までは、『先祖返りして、自然のものを完全に遮断した現代生活から、自然の元に戻り、原始人のように人間本来の生活をしてみる』という人がけっこう山へ行く人の中にいた。
ステンレスの流しに飼われていた亀が、池に放されたようなものです。
そういう人たちにとっては、「人気のない山の深山の霊気」に身を浸すのが重要なわけで、高いところに登るのが主眼ではない。ましてや、頂上をいくつきわめたか(彼らは征服したという言葉を使う)は問題ではない。
いったい、エヴェレストの周りにはどれぐらいのゴミとdead bodiesがあるのか?ネットで「エヴェレスト、ゴミ」で検索してみてください。
これは『深山の空気に身を浸したい』人とは,まったく違うタイプの違う人がいると言わざるおえない。
それが徐々に変わってきて、途中までエンジン付きで行く。最新の用具でバーベキューをして、自分の足で運ばなくて済むので、鋳物の重いダッチオーヴンまで持ってゆく。
かつてニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれた。ペンシルベニア州にはオランダ人が沢山いた。「オランダ勘定」は割りかん、ダッチワイフは言うまでもない。食べさせずに済むwife。余熱を使って薪をセーブするのでこの呼び方が定着した。同じものは17~18世紀、英国では暖炉で使われた。
ちなみに、本国オランダは山がないので、アウトドアと言えば、キャンピングカー、キャラバンのたぐいで平地へゆく。そこでダッチ(オランダ式)オーブンを使い。これは日本では知られていませんが、彼らはそういうところには必ず、(必ずです)インドの長粒米の形をしたチョコレートを持って行き、さまざまなものに振りかける(料理を含む)。そこまで本格にオランダ式にやってください(笑)。
富士山に登るのにハイヒールやビジネスシューズで来る人がけっこういるらしい。信じられない。
夜も昼も関係ない生活になり、電気と内燃機関に頼りきり、虫などもシャットアウト。虫がいないから鳥もいなくなる。すべては画面上のヴァーチャルになってゆく。
私はそういう人間や社会は脆弱になっていると思う。
さて、富士山や九州の火山が縄文時代のように本気で噴火したら?どうやって、誰がゲンパツを制御に行きますか?
同じ火山国のイタリアはポンペイのことがあるので、完全にやめることを決定した。
現代21世紀の科学でもそれの具体的な対処方法はありません。
その理髪店の鏡の前には、山小屋のような吊りランプがある。ちょっと調べてみたら、ランプが廃れる境目は明治30年前後という。さらに山岳地のほうなど、電気をもってくるのに難しいところは昭和の初めまでランプが使われていた。
私にはこの「30年」というのが興味深い。自転車の世界でも30年間の変化というのは一つの周期をつくっている。1920~30年代の自転車が1960年代にどうなっていたか?1960~1970年代の自転車が2000年代にどうなっていたか?これはピッタリ栄枯盛衰のサイクルが合う。
同じことはスキーや登山、自動車のほうでも同じでしょう。英国のバッフォードと言えば学術書で有名なところでしたが、そこの青少年向けの人々の暮らしの変化、という全集で、やはり30年区切りになっていたのをぼんやりと思い出しました。
100年でだいたい人間は4世代交代する。自分のひいおじいさん、ひいおばあさんの記憶がある人は少ないでしょう。それは両親や祖父母の生活様式や価値観を通してしか伝わらない。
親がモーレツ社員でこどもの顔も見なかったりしたら、そういう世代間影響はずいぶん薄れる。
先日、タイへ行って出家してきた友人が、「R&Fさんが鴎外の話をよくするんで、朗読のソフトを入れて、夜聴いていたんですよ」と言われた。
「もう見ただけで、これダメって思ったんで学生時代以来読んだことなかったんですけど、聴いていると何とも言えない爽やかで濃縮された味わいありますよ。今はああいうのないですね。」
との感想。
みんな意識していないけれども、鴎外も漱石も『ランプの時代の文学』なわけです。
いや、詩人のジャンコクトーが社交界の花形だったとき、帰って来ると、いつも彼のいたオテル・ビロンの彼のフラットの向かいにランプが灯っていたと言います。それはロダンの秘書をしていたリルケの部屋のランプだった。
つまり、ボードレールもリルケもマラルメもヴァレりィも上田敏も漱石も鴎外も、蛍光灯や白色電球の下で読み書きしていたわけではない。ましてや電子図書で読んでいたわけではない。
ランプを使ってみるとわかりますが、「時間の流れ方が変わって感じる」。夜が長く感じられる。
どうしてそんな本がうちの自転車の棚にあったかというと、かつての日本、いや幕末ー明治にすら『山へ登るのは特殊な人たちだった』というのを、サイクリングとのからみで、海外の国際会議で発表したことがあったからでした。
昔は行者、山伏、大山参り、富士講など、山岳信仰のほか、普通の人が山へ登ることはほとんどなかった。人々は山を畏れた。猟師などは、山の神の怒りに触れないように供え物をして、儀式をしてから登った。
かつて九州の鬼界カルデラが噴火したとき、九州から広島ぐらいまでは人が住めなくなったらしい。縄文の人たちも大部分は、関東やさらに北へのがれました。そういう記憶と口伝えの伝承が、山に関するこれほどの多くの山に関する神社と関係しているのだと思う。
山の持つ莫大なパワー。戦国時代、武将は羽織の背中に噴火する不二山(北斎をはじめ昔の人はこう書いた)を描いた。「オレが爆発したら手が付けられないぞ」という意味だったに違いない。
このあいだ富士の裾野に行ったら、かつて山へ登る人が身を清めた8つの泉のあたりは完全に観光地になっていて、忠獄呉が飛び交い、綺麗な箱庭のようで、どこかタイガーバームガーデンに似たところがあった。
振り返ると、1970年代までは、『先祖返りして、自然のものを完全に遮断した現代生活から、自然の元に戻り、原始人のように人間本来の生活をしてみる』という人がけっこう山へ行く人の中にいた。
ステンレスの流しに飼われていた亀が、池に放されたようなものです。
そういう人たちにとっては、「人気のない山の深山の霊気」に身を浸すのが重要なわけで、高いところに登るのが主眼ではない。ましてや、頂上をいくつきわめたか(彼らは征服したという言葉を使う)は問題ではない。
いったい、エヴェレストの周りにはどれぐらいのゴミとdead bodiesがあるのか?ネットで「エヴェレスト、ゴミ」で検索してみてください。
これは『深山の空気に身を浸したい』人とは,まったく違うタイプの違う人がいると言わざるおえない。
それが徐々に変わってきて、途中までエンジン付きで行く。最新の用具でバーベキューをして、自分の足で運ばなくて済むので、鋳物の重いダッチオーヴンまで持ってゆく。
かつてニューヨークはニューアムステルダムと呼ばれた。ペンシルベニア州にはオランダ人が沢山いた。「オランダ勘定」は割りかん、ダッチワイフは言うまでもない。食べさせずに済むwife。余熱を使って薪をセーブするのでこの呼び方が定着した。同じものは17~18世紀、英国では暖炉で使われた。
ちなみに、本国オランダは山がないので、アウトドアと言えば、キャンピングカー、キャラバンのたぐいで平地へゆく。そこでダッチ(オランダ式)オーブンを使い。これは日本では知られていませんが、彼らはそういうところには必ず、(必ずです)インドの長粒米の形をしたチョコレートを持って行き、さまざまなものに振りかける(料理を含む)。そこまで本格にオランダ式にやってください(笑)。
富士山に登るのにハイヒールやビジネスシューズで来る人がけっこういるらしい。信じられない。
夜も昼も関係ない生活になり、電気と内燃機関に頼りきり、虫などもシャットアウト。虫がいないから鳥もいなくなる。すべては画面上のヴァーチャルになってゆく。
私はそういう人間や社会は脆弱になっていると思う。
さて、富士山や九州の火山が縄文時代のように本気で噴火したら?どうやって、誰がゲンパツを制御に行きますか?
同じ火山国のイタリアはポンペイのことがあるので、完全にやめることを決定した。
現代21世紀の科学でもそれの具体的な対処方法はありません。