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Channel: 英国式自転車生活
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ランズエンドの石

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Land's Endと言えば、英国のコーンウオールの果て、西の南の果てです。その手前はファルマスなどのヴイクトリア朝の高級保養地が点在しています。

そのあたりの超弩級高級ホテルがシーズンオフには安くなるので、若い頃よく出かけていました。ファルマスの岬の果てには城砦があり、大砲が海を睨んでいました。

そこからランズエンドまでは自転車で行ける。それどころか、北の果てジョン・オゥ・グローツからランズエンドまで連続一気走行を自転車でやって、その英国縦断記録で、名実共に『英国1の自転車であることをアピール』したものでした。

そういう意味ではきわめて多くの自転車乗りにとって、感慨深い場所なのです。ランズエンドには、『だるまおとし』のような奇岩がそびえたち、しかもそれを覆っている苔が黄色い。

ランズエンドに私が最初に行った時、『果て』までたどりつく間は雲の中に入ったように霧が出ていました。英国では『豆のスープのように濃い』という意味でピースーパーと言いますが、ランズエンドの霧は真っ白く明るかった。

じつに幻想的で、伝説の王キング・アーサーはコーンウオールの人であったということがふと思い出された。風が速い。霧が岬の果てでするする晴れてきて、黄色い奇岩が見えたときは感動しました。

その旅のとき、小石をひとつ拾ってきた。

その石が、ここ数週間の大断捨離のときでてきました。

海水の中でたくさんの小石がじつに色とりどり洗われて、そのひとつひとつが美しい。宝石も綺麗かもしれませんが、はるか太古の昔から海にたどりつき、長年磨かれてきた石はたとえようもなく美しい。

ところがそうした小石は、水から出してしばらくすると粉を吹いたように曇ってしまう。

濡らしても本の一時期もとにもどるだけ。20秒もするとまたどんよりと濁った色になる。

それは海と言う果てのない澄んだ水の中でしか美しくありません。

しかも、小石の一粒、一粒がすべて違う。

英国の画家などは、よくそういう石を拾ってきて、ミニチュア・ストーンヘンジのようなものを、窓際に作っていたりする。

私が英国から骨董品や自転車を日本へ持って帰ってくると、そうした海や美しい川の小石のように、『水から出して、濁ってしまった石』のように見えました。

それを美しく光らせる水が、その地を離れるとない。

日本へもってきて、その英国車が『英国のすばらしい車輌だ』と輝き続けるためには、乗り手、持主がつねにそれをしっとりと濡らし光らせ続けるための強烈な英国的なオーラのエーテルをまとっていないといけない気がする。

英国でそれをやっていると、若い外国人なのに、我が国のよき文化を理解してくれている、と老人がよく寄ってきて話しかけてきた。そういう時、ああ、彼らはそう言うのか、と思ったのは、We have the same culture.と言う一言。

私はあるとき、それを日本でやることに疲れたというか、なんだかあまり意味が無いのではないかな?と虚しく思え、「日本の自転車風景」を作りたく思った。

このあいだ、骨董市で日本製のオイルライターを見つけて買ったのですが、実によく出来ている。取扱説明書が旧かなで、右から左に横書きしてあるところがあったので、第二次世界大戦前の日本製です。

あきらかにダンヒルの名品ユニークにヒントを得ている。しかし、ダンヒル・ユニークはたいへん着火が難しく、私が持っているものも、仲間達に貸しても、誰も決して火が点きません。たいへんな指の握力とコツがいる。

その問題点を日本製はみごとに解決していました。どことなく野暮で、町工場の親爺が「ここはこうしたほうが絶対良いに決まっている」と作った感じがする。

そういうものは日本で使って「濁らない」のではないか?

月の光が「真理」だとすれば、水が澄んでその光は底の小石にとどく。その水の表面には真理が静かな一瞬に映る。

石にも命を宿らせる澄んだ水とある種のオーラをまとうか?あるいはこの地で濁らない自分の美しい小石を作るか?

自転車でもこのことはまったく変わらないと思う。

英国では美しかったはずの小石が手に入れた瞬間濁っている、、、、それに気がつかない人はすくなくありません。

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