私が10代、20代、高級ハンドビルトのフレームと言うのは、趣味の世界で普通に存在したというのはたびたび書いていますが、一方で、ダメな溶接というのも数多く存在しました。
関東では、ヒビが入るフレーム、割れるフレームとか、ロウ付けがポロッと取れるのでよく知られたところもありました。
そういうのを知っているので、溶接は絶対に最高のものでないといやだ、と言う思いが強くあります。
「そのダメなフレーム」も見た目にはキレイに出来ているのですが、ただ壊れるのです。時間をかければおもてっつらをキレイにするのはいくらでもできる。
スチールのハンド・ビルト・フレームにはおおよそ6種類ある。
1)溶接が巧く、壊れず、仕上げがきれい。
2)溶接が巧く、壊れず、仕上げをほとんどしない。
3)溶接が下手で、壊れず、仕上げがきれい。
4)溶接が下手で、壊れず、仕上げが汚い。
5)溶接が下手で、壊れ、仕上げがきれい。
6)溶接が下手で、壊れ、仕上げが汚い。
現在、45歳以上のヴェテランはきわめて慎重にこのあたりを考えるはずです。
『誰の作が1~5の中でどれか?』というのは言えますが、さしさわりがあるのでここには書けません(笑)。もう物故した人たちならさしさわりがないかもしれない。
たとえばクロード・バトラーのビル・グレイは1)です。しかし、クロード・バトラーには従業員が30人以上いたので、クロード・バトラーにも3)と4)がそうとうはいっています。HETCHINSのジャック・デニーも1)です。このあいだ亡くなったCさんは2)の変則型で溶接が『きわめて巧く』壊れず、仕上げをほとんどしない人でした。『何度も握った寿司はまずいのと同じだ』と言っていた。
ホッブス・オヴ・バービカンなどは3)です。ヘンリー・R・モリスなどは1)の変則型で、1)の『きわめて溶接が巧く』になる。Cさんはジャック・デニーのフレームを見て『たいしたことねぇよ』と言っていた。しかし、その彼をして、ビル・グレイのフレームとヘンリー・R・モリスのフレームは、
「これは巧いな。ただごとじゃないですよ。我々は他の連中の仕事をみると、まずアラを探すってーかね。ケチつけるところを探すもんですが、これはケチつけるとこがないな。いやすごい。ボクはこれバックフォークの右と左のそろい方なんか見てわかるけど、シャキッとしてる。左右キレイに揃っているものって、当たり前にみんな考えるかもしれないけど、ほとんどない。みんな利き腕があるから。ちょっと、定盤のっけてみましょうか?ほとんどまったく狂っていないと思いますよ、、、ほら。もうゼロに等しい。何十年も乗った車輌でそんなことありえないんですけどね。これはたぶん新車のときからほとんど狂ってなかったんですよ。『狂い取りしたフレームは乗っているうちにもとにもどるからね』。」
ブランドものなら平気か?というとそんなことはない。イタリアの某巨匠のフレームをCさんはまったく評価していなかった。いまだに意味不明ですが『ガキデカのフレーム』と呼んでいた(笑)。
また故井上さんのルネが芯だしも不可能なくらい、新車のときから複雑骨折状態で狂っていたのは有名な話。彼はもともとビルダーではなく、飛行機の部品製作者でしたから私の中では3)です。溶接は決して巧くない。仕上げと、最後を決める『眼力』の人だったと思う。そういう人のフレームに『素人オーナーがヤスリを入れて』フォーククラウンにボコッと穴を開けてしまったなどというケースもあった。
むかし、白馬という「擬似へチンズ」のようなビルダーがありましたが、熱意は買いますが、きわめて下手な溶接で、仕上げもいただけなかった。「うちほ」さん(通称ウツボ)なども1)です。
ところが、西暦2008年を越える頃から、ちょっと様子が変わってきた。3)と5)がすごく増えた。
『合点』で求人した時給800数十円の人に、雇って半年もしないうちにフレームの溶接のトーチをもたせ、それを有名ブランド名で販売したりする経営者があらわれた。私ならそんなおっかないことは出来ません。『下積みを長年やってきて光があたらなかった者に機会を与えるのとは、それは違うだろうと思う』。通常ヨーロッパでは一つの工房で親方以外は溶接の火を持たない。
さらには、雑誌編集者がフレームを溶接するまでになった。本来、編集者は『執筆者の仕事を編集するのが仕事』なはずですが、2000年代から、とみに『編集者が執筆者のほうへ越境してくる』ケースが増え、アルバイトの編集者までが執筆するようになり、そこからさらにフレームやステムまで作る、製作者の世界にまで越境してきた。これは私は『怖いもの知らず』だなと思う。そのあたりの製作はそれほどなまやさしいものではない。それは上記の1)から6)のどこにはいるのか?
他人の溶接結果を見て、どれくらいの腕か見れないと(見巧者)、最低限の『下準備ができていないのではないか?』と私なら考える。その意味で編集者もバイトも同列です。それは『どういう蕎麦つゆが美味いかわからずに蕎麦つゆをつくる』様なものではないのか?。
関東では、ヒビが入るフレーム、割れるフレームとか、ロウ付けがポロッと取れるのでよく知られたところもありました。
そういうのを知っているので、溶接は絶対に最高のものでないといやだ、と言う思いが強くあります。
「そのダメなフレーム」も見た目にはキレイに出来ているのですが、ただ壊れるのです。時間をかければおもてっつらをキレイにするのはいくらでもできる。
スチールのハンド・ビルト・フレームにはおおよそ6種類ある。
1)溶接が巧く、壊れず、仕上げがきれい。
2)溶接が巧く、壊れず、仕上げをほとんどしない。
3)溶接が下手で、壊れず、仕上げがきれい。
4)溶接が下手で、壊れず、仕上げが汚い。
5)溶接が下手で、壊れ、仕上げがきれい。
6)溶接が下手で、壊れ、仕上げが汚い。
現在、45歳以上のヴェテランはきわめて慎重にこのあたりを考えるはずです。
『誰の作が1~5の中でどれか?』というのは言えますが、さしさわりがあるのでここには書けません(笑)。もう物故した人たちならさしさわりがないかもしれない。
たとえばクロード・バトラーのビル・グレイは1)です。しかし、クロード・バトラーには従業員が30人以上いたので、クロード・バトラーにも3)と4)がそうとうはいっています。HETCHINSのジャック・デニーも1)です。このあいだ亡くなったCさんは2)の変則型で溶接が『きわめて巧く』壊れず、仕上げをほとんどしない人でした。『何度も握った寿司はまずいのと同じだ』と言っていた。
ホッブス・オヴ・バービカンなどは3)です。ヘンリー・R・モリスなどは1)の変則型で、1)の『きわめて溶接が巧く』になる。Cさんはジャック・デニーのフレームを見て『たいしたことねぇよ』と言っていた。しかし、その彼をして、ビル・グレイのフレームとヘンリー・R・モリスのフレームは、
「これは巧いな。ただごとじゃないですよ。我々は他の連中の仕事をみると、まずアラを探すってーかね。ケチつけるところを探すもんですが、これはケチつけるとこがないな。いやすごい。ボクはこれバックフォークの右と左のそろい方なんか見てわかるけど、シャキッとしてる。左右キレイに揃っているものって、当たり前にみんな考えるかもしれないけど、ほとんどない。みんな利き腕があるから。ちょっと、定盤のっけてみましょうか?ほとんどまったく狂っていないと思いますよ、、、ほら。もうゼロに等しい。何十年も乗った車輌でそんなことありえないんですけどね。これはたぶん新車のときからほとんど狂ってなかったんですよ。『狂い取りしたフレームは乗っているうちにもとにもどるからね』。」
ブランドものなら平気か?というとそんなことはない。イタリアの某巨匠のフレームをCさんはまったく評価していなかった。いまだに意味不明ですが『ガキデカのフレーム』と呼んでいた(笑)。
また故井上さんのルネが芯だしも不可能なくらい、新車のときから複雑骨折状態で狂っていたのは有名な話。彼はもともとビルダーではなく、飛行機の部品製作者でしたから私の中では3)です。溶接は決して巧くない。仕上げと、最後を決める『眼力』の人だったと思う。そういう人のフレームに『素人オーナーがヤスリを入れて』フォーククラウンにボコッと穴を開けてしまったなどというケースもあった。
むかし、白馬という「擬似へチンズ」のようなビルダーがありましたが、熱意は買いますが、きわめて下手な溶接で、仕上げもいただけなかった。「うちほ」さん(通称ウツボ)なども1)です。
ところが、西暦2008年を越える頃から、ちょっと様子が変わってきた。3)と5)がすごく増えた。
『合点』で求人した時給800数十円の人に、雇って半年もしないうちにフレームの溶接のトーチをもたせ、それを有名ブランド名で販売したりする経営者があらわれた。私ならそんなおっかないことは出来ません。『下積みを長年やってきて光があたらなかった者に機会を与えるのとは、それは違うだろうと思う』。通常ヨーロッパでは一つの工房で親方以外は溶接の火を持たない。
さらには、雑誌編集者がフレームを溶接するまでになった。本来、編集者は『執筆者の仕事を編集するのが仕事』なはずですが、2000年代から、とみに『編集者が執筆者のほうへ越境してくる』ケースが増え、アルバイトの編集者までが執筆するようになり、そこからさらにフレームやステムまで作る、製作者の世界にまで越境してきた。これは私は『怖いもの知らず』だなと思う。そのあたりの製作はそれほどなまやさしいものではない。それは上記の1)から6)のどこにはいるのか?
他人の溶接結果を見て、どれくらいの腕か見れないと(見巧者)、最低限の『下準備ができていないのではないか?』と私なら考える。その意味で編集者もバイトも同列です。それは『どういう蕎麦つゆが美味いかわからずに蕎麦つゆをつくる』様なものではないのか?。