意外なことだと思いますが、自転車と言うのは意外に新しい発明です。蒸気機関よりも新しい。
「人間が乗るんだから、四輪では重過ぎる。二輪で良いのではないか?と考えたところにハンス・フォン・ドライスのすごさがある。
HPV(人間を動力とする車輌)は古代ギリシャから存在しましたが、どれも四輪とか三輪でした。それが二輪になったところで、それまでにない自由な運動性能を獲得した、ということで、全世界的に、ドライスのドライジーネをもって自転車の始まりとするということになっています。
そもそもBICYCLEの「BI」とは「2つ」を意味する。3輪の「バイシクル」というのはありません。3輪なら「トライシクル」になる。
ドライスが生きた時代は「天変地異の時代」でした。インドネシアのタンボーラ火山が大噴火を起こし、その火山灰はたいへんな量が地球の大気圏を覆い、太陽光をさえぎって、ヨーロッパでもアメリカでも真夏に雪が降った。
そのため牧場の草は枯れ、馬の餌も足りなくなり、多くの馬や牛が死んだ。
「人間が馬などに頼らず個人で移動できる手段」として考えられ、発明されたのがドライジーネでした。なので、ドライジーネにはごく初期の発想段階から、長距離移動用の、荷物積載装置がついていました。
さて、私は現代はハンス・フォン・ドライスの時代と似ている気がします。
日本で大震災と津波が起こる前、インドネシアではやはり大津波がきている。いまはそういう活発期に地球が入っているのだと思われる。
「喉もと過ぎれば、、」で人間はどうも200年もすると自然に対する警戒心が弛むらしい。
隣国でみんなが自転車に乗っていた時代は、日本の春は平和でした。PM2.5などもこなかった。
里山などが乱開発される前は日本の低山はさまざまな樹が入り混じる「雑木林」だったわけで、花粉の量も過去40~50年間で何倍にもなっている。わたしのこどもの頃、花粉症で悩んでいる同級生がいた記憶が無い。
図式としては、隣国へ何でも作らせ、自分たちは「ピンハネ経済」を続け、その工場地帯からの公害と、豊かになった自動車社会の排ガスがみんな日本へ来ている。皮肉なものです。彼の国からどんどん買えば、どんどん工場はさかんに稼働して、人々はもっと豊かになり、大きい自動車に乗るようになり、もっと公害がこっちへ流れ着く。
これはやがて、ドイツの森が公害の酸性雨で消滅したように、日本の山河も公害ではげ山への道を歩むことになるのではないか?。
日本に30年ほどいる英国人の友人数人が「最近の日本の花粉は酷い」と言います。
花粉に加えてPM2.5.私は若い頃、バイクのヘルメットが義務になったとき、「自転車にヘルメットが義務になったら、日本を出よう」と思った。実際1987年ごろまでは、東京でヘルメットを被って街中を歩いているのは、真冬でも半袖のアメリカ人のマンマル教徒の宣教師ぐらいでした。マンマル教徒が増えた形跡はありませんが、彼らのヘルメットはみごとに日本へ浸透した(笑)。
それがまさか、ヘルメットより先に「春にはマスクをして乗るようになる」とは予想だにしなかった。
春は花粉とPM2.5で悩まされ、そのあとは梅雨。河岸も都市もセメントで固めまくっているので、夏は夜でも熱帯夜。
こういう状態が当たり前になって、みんなが超小型の電気自動車に乗るようにでもなったら悪夢だと思う。
試算によると、そう言う具合で電気自動車が増えると、ゲンパツがあと数十基必要な計算になる。ゲンパツはその周囲の海水を温めます。それによって、汚染のみならず、生態系も変える。
そこまで考えて、あえて『荷物を積める自転車』であるべきなのではないのか?
何も積めない、道路が地震でひびわれたり、瓦礫があったら使い物にならない競技車輌を至上の自転車として、それ以外には眼もくれず、ゲンパツ事故の後、環境的な話題は3年間一切触れず、汚染地域ではどういうマスクをして自転車に乗れと言う提案もせず、ひたすら、「新型車輌一気乗り」とか「楽に坂が登れる」とかいう企画しかしてこなかった人たちの「地球環境への意識の希薄さを哂う」。
ハンス・フォン・ドライスが人類の文明の危機を感じて自転車を発明したことを忘れるべきではない。