ヤフオクで、これは!という鉄瓶にものは試しと入れてみて、あとは高値更新が出ても放っておくと、あとで辿ると「このオークションは終了しています」の表示が出て、最終価格がわかります。
そうすると興味深い。もう、なかはドロドロに錆びまみれであっても、ちょっと風情があって、作ゆきがよく見どころがあると6万~十万円をすぐ越える。このあいだは70万円を越えたものがありました。ビックリ。
「お金を貯めて出直してこよ~♪」というところですか(笑)。それだけあったら3回ぐらい週末にヨーロッパ往復したほうが良い。工芸品的な凝ったところはありませんが、沸かした水の味が良いので、とうぶん、今あるもので良いと思う。
しかし、現在ちゃんとした砂鉄の鉄瓶の新しいものは『25万円から~』という具合ですから、今は作れない職人仕事のものなら、それは当然そのぐらいはするだろうな、という感じ。
鉄瓶の世界も自転車と同様、お隣の国の安物がずいぶん入ってきています。
私は「材料は何だろうな?」と思うのです。日本は東北や広島、岡山などでは良い砂鉄がとれる。しかし、お隣の国にはまっ黄色な泥の大河が流れていて、砂鉄どころではないはず。
古い漁船のエンジンとか融かして再利用してないでしょうね?という疑念が湧くのを禁じえない。
昔、精密機械屋時代に、コンパスに真鍮を使うのですが、あちらの国の真鍮材料は、本来引かないはずの磁石を引いてしまって使い物にならなかった体験がある。
実際のはなし、鉄瓶の美味い水はじつに甘露ですが、不味い鉄瓶と言うのもある。血なまぐさい味の水もあります。血液は鉄を多く含みますから何らかの具合で味が似るのかもしれない。
ちなみに今月発売の某雑誌の統計を見ていたら、「Beiジン」の経験10年のバス運転手の年収が7000ドルと出ていました。東京はだいたい560万円ほど。だいたい日本の8分の1ぐらいと考えればわかりやすい。
日本にある多くの安物輸入自転車はそういうところから来る。
つまり8分の一の人件費のところと競争させられている。その8分の1というのはあくまで首都での話ですから、僻地まで労働力を求めてゆけば20分の1ぐらいになると言われています。
そうすると、現在9500円で買える輸入安物車輌を、日本の「技」で日本国内でまっとうに作れば19万円にかけるぐらいというところになるでしょう。
じつは、これはある数字と一致するのです。
主人公の先生が自転車に乗っていた映画「青い山脈」が出来た1957年ごろ、公務員の初任給が1万2千円ぐらいでした。森永キャラメルが10円。日本製の大量生産メーカーの自転車が1万8千円から2万4千円でした。その時、ヒルマン・ミンクス・スーパーデラックスは92万円。クラウンは98万円。
言うまでもなく、大量生産をすれば単価はどんどん下がるのは経済の常識。
これを大雑把に現代に当てはめると、大メーカーが大量生産でコストを下げても22~28万円ぐらいということになるでしょう。また、当時のヒルマンやクラウンは現代の価値で考えると1千500万円超級の高級自動車だったことがわかります。
たしかに格好は別として、あの時代の自動車はメーターでもボデイ・パネルでもシートでもバンパーでもメーター類でも、『デザインで高級感を演出することなく、ものすごく素材的・工作的に金がかかっている』のがはっきりわかる。
これはあの時代の自転車のヘッドバッジや泥よけを留める板などが、みごとな七宝焼きのバッジになっていたことと同じでしょう。いまやすべてが印刷かシールになっている。
そうした時、メーカーのような大量生産のスケールメリットでコストダウンが出来ない我々のようなハンドビルトのものはいくらが適正なのか?
うちの自転車の車輌値段と、セミマスプロのところのフレームを部品問屋が自社扱いのパーツで組んだものとほぼ同じ価格になっている。うちは、フレームは日本国内で作って一台づつ手やすりで仕上げ、キャリアもすべてフレームに現物あわせしてやっているわけですから、本来安すぎる。
そういうところへ、「フレームだけで」と注文してくる人がいる。それは部品部分での利益の消滅を意味します。さらに、「ブレーキはカンパニョーロのサイドプル・ブレーキがあるので、それで、シートステー・ブリッジに横穴をあけてください」とか言ってくる方がいる。
うちの28号のフロント・オフセットはかなり大きい。そこへカンパニョーロのブレーキを入れて、適正な肩下寸法にしたら、タイヤとフォーククラウンの隙間がどのくらい狭くなると考えているのか?オリジナルの28号はカンパよりもアームの長いワインマンですが、ブルーメルの泥よけを5mm以上へこませている。
いまから40年ほどまえの、オーダーメイドの工房は、そういう注文には「黙って、乗れないものでも、言われるとおり作って納品する」というのを慣わしにしていました。
シクロのヘリコイド式変速器にはブラケットがあるので、チェンステーを425mmとか430mmにしたら踵が変速器にあたってこげない自転車になります。それでも黙ってそういう風に作り、渡す(笑)。
作り手は「ざまーみやがれ。わかりもしないくせに、思い通りに作ってもらったらそのざまか」と思っていたに違いない。1960年代から1970年ちょうどぐらいまでは、「オーダー車は3台失敗しないと良いのが作れない」とか雑誌にも書かれていたのを覚えています。
私も「あの時代の職人のようにやったら気分がいいだろうな。思いっきり溜飲下がるだろうな」とふと「邪念」がよぎるときがあります(爆)。
さて、あの時代、完全フルオーダー自転車と軽自動車やパブリカは価格にたいした差が無かったのを記憶しています。ですので、それから考えたら、現在の手作りフレームは安すぎますね。
そうすると興味深い。もう、なかはドロドロに錆びまみれであっても、ちょっと風情があって、作ゆきがよく見どころがあると6万~十万円をすぐ越える。このあいだは70万円を越えたものがありました。ビックリ。
「お金を貯めて出直してこよ~♪」というところですか(笑)。それだけあったら3回ぐらい週末にヨーロッパ往復したほうが良い。工芸品的な凝ったところはありませんが、沸かした水の味が良いので、とうぶん、今あるもので良いと思う。
しかし、現在ちゃんとした砂鉄の鉄瓶の新しいものは『25万円から~』という具合ですから、今は作れない職人仕事のものなら、それは当然そのぐらいはするだろうな、という感じ。
鉄瓶の世界も自転車と同様、お隣の国の安物がずいぶん入ってきています。
私は「材料は何だろうな?」と思うのです。日本は東北や広島、岡山などでは良い砂鉄がとれる。しかし、お隣の国にはまっ黄色な泥の大河が流れていて、砂鉄どころではないはず。
古い漁船のエンジンとか融かして再利用してないでしょうね?という疑念が湧くのを禁じえない。
昔、精密機械屋時代に、コンパスに真鍮を使うのですが、あちらの国の真鍮材料は、本来引かないはずの磁石を引いてしまって使い物にならなかった体験がある。
実際のはなし、鉄瓶の美味い水はじつに甘露ですが、不味い鉄瓶と言うのもある。血なまぐさい味の水もあります。血液は鉄を多く含みますから何らかの具合で味が似るのかもしれない。
ちなみに今月発売の某雑誌の統計を見ていたら、「Beiジン」の経験10年のバス運転手の年収が7000ドルと出ていました。東京はだいたい560万円ほど。だいたい日本の8分の1ぐらいと考えればわかりやすい。
日本にある多くの安物輸入自転車はそういうところから来る。
つまり8分の一の人件費のところと競争させられている。その8分の1というのはあくまで首都での話ですから、僻地まで労働力を求めてゆけば20分の1ぐらいになると言われています。
そうすると、現在9500円で買える輸入安物車輌を、日本の「技」で日本国内でまっとうに作れば19万円にかけるぐらいというところになるでしょう。
じつは、これはある数字と一致するのです。
主人公の先生が自転車に乗っていた映画「青い山脈」が出来た1957年ごろ、公務員の初任給が1万2千円ぐらいでした。森永キャラメルが10円。日本製の大量生産メーカーの自転車が1万8千円から2万4千円でした。その時、ヒルマン・ミンクス・スーパーデラックスは92万円。クラウンは98万円。
言うまでもなく、大量生産をすれば単価はどんどん下がるのは経済の常識。
これを大雑把に現代に当てはめると、大メーカーが大量生産でコストを下げても22~28万円ぐらいということになるでしょう。また、当時のヒルマンやクラウンは現代の価値で考えると1千500万円超級の高級自動車だったことがわかります。
たしかに格好は別として、あの時代の自動車はメーターでもボデイ・パネルでもシートでもバンパーでもメーター類でも、『デザインで高級感を演出することなく、ものすごく素材的・工作的に金がかかっている』のがはっきりわかる。
これはあの時代の自転車のヘッドバッジや泥よけを留める板などが、みごとな七宝焼きのバッジになっていたことと同じでしょう。いまやすべてが印刷かシールになっている。
そうした時、メーカーのような大量生産のスケールメリットでコストダウンが出来ない我々のようなハンドビルトのものはいくらが適正なのか?
うちの自転車の車輌値段と、セミマスプロのところのフレームを部品問屋が自社扱いのパーツで組んだものとほぼ同じ価格になっている。うちは、フレームは日本国内で作って一台づつ手やすりで仕上げ、キャリアもすべてフレームに現物あわせしてやっているわけですから、本来安すぎる。
そういうところへ、「フレームだけで」と注文してくる人がいる。それは部品部分での利益の消滅を意味します。さらに、「ブレーキはカンパニョーロのサイドプル・ブレーキがあるので、それで、シートステー・ブリッジに横穴をあけてください」とか言ってくる方がいる。
うちの28号のフロント・オフセットはかなり大きい。そこへカンパニョーロのブレーキを入れて、適正な肩下寸法にしたら、タイヤとフォーククラウンの隙間がどのくらい狭くなると考えているのか?オリジナルの28号はカンパよりもアームの長いワインマンですが、ブルーメルの泥よけを5mm以上へこませている。
いまから40年ほどまえの、オーダーメイドの工房は、そういう注文には「黙って、乗れないものでも、言われるとおり作って納品する」というのを慣わしにしていました。
シクロのヘリコイド式変速器にはブラケットがあるので、チェンステーを425mmとか430mmにしたら踵が変速器にあたってこげない自転車になります。それでも黙ってそういう風に作り、渡す(笑)。
作り手は「ざまーみやがれ。わかりもしないくせに、思い通りに作ってもらったらそのざまか」と思っていたに違いない。1960年代から1970年ちょうどぐらいまでは、「オーダー車は3台失敗しないと良いのが作れない」とか雑誌にも書かれていたのを覚えています。
私も「あの時代の職人のようにやったら気分がいいだろうな。思いっきり溜飲下がるだろうな」とふと「邪念」がよぎるときがあります(爆)。
さて、あの時代、完全フルオーダー自転車と軽自動車やパブリカは価格にたいした差が無かったのを記憶しています。ですので、それから考えたら、現在の手作りフレームは安すぎますね。