Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

老人から学ぶこと

$
0
0
若い頃から老人と付き合ってきたので、『人生に対する立ち位置』に独特の感覚を教えてもらった気がします。

一休さんは正月に髑髏をもって練り歩いたとか。人間いつ死んでもおかしくない。

まわりの自転車関係者でも75歳、85歳はごろごろいる。95歳の人もいる。ほとんどの人が、自分は例外的に110歳まで生きるとは思っていないでしょうから、残りの部分、あるいは数年間の覚悟で力を尽す姿勢があると思う。

「あと何回おせちが食べられるかな」とは高齢者がよく口にする一言です。Cさんはよく、
「R&Fさん。ボクがいなくなったら出来なくなる戦前車輌の修理があるだろうから、今のうちにやらなきゃいけないのは早くみんな持ってきたほうがいいよ。」
と言っていた。

しかし、私はある時点で、死ぬまでレストア・再生一筋のつもりはなかったので、区切りを付ける気でいました。

マイク・バロウズは私に「過去を知らずして新しいものなど創造できない」と言っていました。これは昔の日本でも当たり前のことだったと思うのですが、ある時期から忘れられて来ているように思う。

そうした『過去と無関係』をよそおうことは、ある時期から日本で「高齢者は古臭い、遅れている」とレッテル付けするような風潮と同時に起こってきたように思う。

しかし、今の50代60代で海外勤務をやってきたような商社の人間とか海外事業部の人間と、西洋諸国で通用する背広の着こなしで互角に張りえる20代がいるのか?和服にいたっては能狂言とか茶道の関係者以外では、まず20代ではほとんどいないのではないか?和も洋もだめなら、どこにアイデンティティをもてるのか?

私は、日本が去年ぐらいからこれほどの円安になっているにもかかわらず、自動車でも家電でも輸出がマイナスになっている原因が、『伝統の根無し草』になっていることと無縁ではないと思う。

『西洋の亜流に西洋の人は魅力を感じない』。

実際の話、若い20代~30代のアメリカ人で、日本の昭和30~40年代の日本の実用車に魅力を感じ、写真を撮って歩いているような人たちがいる。

1970年代に陶芸家の加藤唐九郎が話したインタヴューが手許にあるのですが、なかなか面白いことを言っている。彼は古い窯址を調査して、さまざまな調査をしていました。「陶片からすべてがわかる」と言っていた。彼によれば、「そこから耳掻き一杯ほどの発見でも、それがいよいよものになって使えるとわかれば、地球を割るほどの大きなものになる」のだと言う。それを業界のほうへ移して、新しいものの創造に生かさないといけない、しかし、業界の人はその過去からの耳掻き一杯の発見をバカにする傾向があり、またそういう一次資料を文化庁は博物館へ持って行き、『死蔵』して決して使えないものにしてしまう、と彼は考えていた。抜粋してみると、

「ともかく最高のものをつくらなきゃ。伝統はもちろん、あらたに研究を重ねてじゃね。伝統を生かして、それに伴ってくる因習を打破しなければいけない。ここでぼくらが考えなければいけないのは、新しいものを創るには古いものがわかっていなければならない、と同時に未来がわかっていなければ新しいものはできん、、、、、現在やっていることしか、もうそれ以上やってはいかんと思ったり、やっても見込みがないと思っておる。だから業界の人は発展性がないのじゃ。外国の模倣をし、模倣したものを安く外国に売れば商売になる、という悪習慣を持っている。明治政府いらいやってきたのはそればかりなんじゃ。それをここでいっぺん切り捨てなければ。」

それから40年ほど経って、いまだに日本の高級車は最近アウデイそっくりのグリルを持つようになり、デパートに行ってみれば、洋食器でも西洋の高級ブランドに似せたものばかり。似せているのにどこか「抜けているニブイ感じがする」。焼きの品質がヨーロッパのものよりよいことはわかっていても買う気が起こらない。

生まれてくるデザインは、『産み捨てのタマゴ』のように、前に産み落とされたタマゴとは脈絡がない。

産み捨てられた、「めんどりと関係を断たれたタマゴ」のようなデザインはどれも一緒。

私はこどものころ自動車少年でしたが、今の日本のワンボックス・カーはトヨタもニッサンもマツダもみんな同じに見え、メーカーの区別が付かない。住宅も東北へ行っても九州へ行ってもいまや同じに見える。

あと二十年後を考えると、伝統的な料理も、和服の着方も、それの作りかたも、日本式の庭も、日本の伝統的な木工の『継ぎ手』の技法も、絹糸の作り方も、織物も、すべて伝承不可能になるのではないか?

今の20代、30代で、自転車や自動車の線引き(赤や金の細い線を塗装の上に引くこと)が出来る人を見たことがない。やろうという人もいないでしょう。

ある日突然、取り返しがつかないほど『創造的な花が咲く土壌が消失』しているのを思い知るのではないか?

蒔絵の技術でバイクのタンクを仕上げたら、アメリカ人は驚愕するはず。実際万年筆ではヨーロッパの高級ブランドでそういうものがあって、いまだに高値で取引されている。その技術で現代に通用するデザインをやればいい。自転車のバッジや金属部分も、刀のこしらえのような細工を施したら、へチンズなど取るに足らない。実際、昔はK-りんのフレームで「三次元立体複雑ラグ」も存在しました。

小学校から英語をやって、パソコンの情報の海にこどもを漬けこんでも、海外の人の下で「手下のように働く便利な経済兵隊」を量産する気なのか?海外から物を持って来て売るだけの、独自技術なき「貿易赤字拡大要員」を増やすつもりなのか?

唐九郎は小学校のとき、窯元の祖母から、「小学校なんかへ行ったら、みんなと同じになって、一流の陶工になれない」と学校へ行くのを反対されたといいます。その彼がのちに世界中で認められ、ピカソまで彼の作に惚れこんで作品を交換しようと持ち掛けられた。

こういうことを言っては失礼かもしれないけれど、小学校からネィテイヴの英語の家庭教師を雇って、大学へ入った時にすでにアメリカ人のようにペラペラに喋れた日本人を二人知っています。その後どういう職業についたか?二人ともツアーコンダクターです。

親が商社員で海外生活が長く英語が本国人同様だったのが、同じ学年に知っているので三人いた。彼らには絶対的な弱点がありました。漢字を知らないため、日本の新聞が読めなかった。文学書も専門書も読めませんでした。話せる話題は、いま刹那に流行っている映画と音楽の話題ばかり。彼らも就職は相当苦しんだ。

いまやこの国は「国策」でそういうタイプの若者を量産しようとしているように見える。それよりは、学校なんぞ、いいかげんにほっぽらかして、こどもを老人と一緒に遊ばせて、伝統を吸収させたほうがよいのではないか?と思います。老人は「やりのこしたことをやりとげること」と「伝えようとすることに関しては驚くほど『無私』です。」これは世界共通だと思う。私自身、私が仕事や人生で役に立ったことは、すべて老人から教えてもらったことだと言って良いと思います。

私もそうですが、人間中年になると、学校で予防接種の順番を待っているように、人である以上、決して遁れられない終りがくることを強く意識する。その前にすべてやっておかなければいけないと強く思う。

それを引き出せる社会のシステムをつくらないと未来はしぼむと思える。覚悟をした高齢者の潜在力と言うのはあなどれないものです。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles