私はどうもパソコンの小さい画面で図面を見るのが苦手です。画面だとわからない部分がある。
面白いもので、いま組んでいる職人さんもそうで、彼も考える時には1分の1の図面を描いてみると言っていました。
そういう人はじつは意外に多い。カーボンファイバー・モノコック・フレームの父マイク・バロウズなどはそれよりさらに一歩進んでいて、図面を描かずにいきなり作ってゆくと言っていました。
これは「思考回路が彫刻家的」なのだろうと思う。マイクは「これは自分の才能だ」と断言していた。
ミケランジェロの彫刻などでも、見ていると「泥の中に埋まったビー玉」を掘り出すように大理石の中から人体を掘り出している感じがするのがけっこうある。
私もやってみないとわからない、部分がけっこうある。
今もサイドプル用のリアキャリアをまとめないといけないものが5台ほどあり、しかも巾を広くしてくれというのが2台あります。
どこまで広げてもおかしくないか?は1分の1で眺めて見ないと結論が出ない。
古い焼き物の場合、大きい窯へ何人もの陶匠がたくさんの焼き物を入れていたので、間違えないように印を掘った。かまじるしと言いますが、陶工によって同じ印でも、底の円形に対してどのくらいの大きさの比率で入れるか、作り手の比例感覚が出る。
贋物はかまじるしだけを真似て、その比例が達人のものと違っても気が付かないものがけっこうある。
これは自転車のフレームなどをつくる人の間でも同じ。作っている人は他人のフレームと自分のやったフレームを見間違えることがない。
そのあたりは古い1930年代の英国のフレームなどで、ヘッドバッジがなく、塗り替えられているものの作者をたどる場合なども同じようなところを見ます。