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Channel: 英国式自転車生活
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きりしたん古文書

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あまり宗教的なことを書かないようにはしているつもりですが、それでもやっぱり私のなかに、どこか、書かずにはいられないのです。

前にも書いたと思いますが、私は幼稚園はカソリックのところへ行っていました。祖母は熱心に観音様を信仰し、祖父は詩人カーライルの親戚に英語を習い(残された英文の手紙を見ると、かなりデキる。R&F危うし)、クリスチャンになったものの、さまざまなことがあって晩年は棄教、禅寺に埋葬されました。そういう意味でかなり私の中ではさまざまなものがクロスオーバーしています。

私はヨーロッパの中世からある大聖堂の音楽監督でもある牧師の息子のゴッド・ファーザーでもあります。その一方で、護摩行に参加し、般若心経と真言をとなえつつ自転車でお遍路をしたりしている。

机の上には、おおよそすべての宗教家から怨まれそうな、哲学者バートランド・ラッセルの写真が額に入れて飾ってある。彼の本を読んでいるとなんだか落ち着くのです。

そんな私が長年名前は知っていても、本物の本を手に取る機会がなかった人がいる。その名をハピアン。

この人の名前は遠藤周作を通して知りました。その後、さまざまな新書版に彼のことが書かれているにもかかわらず、彼の書いたものを直接読む機会はありませんでした。文庫本などにももちろんなっていません。

それが大規模古書店の階段のところに安売りで500円であった。ハードカバーです。(岩波書店、日本思想大系25巻目、キリシタン書)

パラパラとめくって、思わず唸ってしまいました。実に興味深い。なぜにこういう本の内容が学校教科書に載らないのか?日本が鎖国にいたった感情的背景が、これほどよくわかる資料はありません。

わかりやすく現代語訳すると、こんな感じ、
「王の法、ことわりをしりぞけ、仏神をほろぼし、日本の風俗を退け、でうす(神)、おのが国の風習を移し、自ら国を奪い取らんとたくらむはかりごとをめぐらす。ルソン(フィリッピン)やメキシコなどの未開人の土地を奪い、日本はさしも簡単には奪えぬと悟ると、彼らの法と習俗を広め、1000年ののちにもこれを奪わんと考えている。

さて、慢心は諸悪の根元。へりくだるはさまざまなる善のいしづえである。それを彼らは我々には行うようにすすめるが、彼ら自身の高慢には天魔も及ばない。この彼らの高慢ゆえか、同じキリシタン同士が、宗派が違うと、勢力を争い、喧嘩・口論に及ぶこと、世俗もそこのけに見苦しい。その喧嘩は彼らの基地マカオでですら彼らは確執している。伴天連の司教カルヴァリヨは他の南蛮寺に押し入り、鐘楼に登り、鉄砲を放ちかけなどしたのである。同じ切支丹に出家したるもの同士でするには、とうていふさわしくない行いであろう。

寺の中で日本人が彼らに挨拶しても、高慢なる者たちゆえ、日本人を人とも思わない。ローマ教皇は日本人は我が意にかなわないので、伴天連(上位聖職者)にはさせるなとのこと、これは皆面白くないと思っている。

でうすは無欲で、慈悲を本質となすという、これは誠だろうか?ある檀那が教えと戒をよく守り、善人とみんなが褒めても、それが貧者ならば、宣教師たちは適当にあしらい、無信心で破戒の者でも大金持ちであれば、目の色を変えて接待、馳走し、また、そういう人でも落ちぶれたとみるや、まったく無視する。金銀に眼のくらむことは、まさに彼らよりはじまったことである。落ちぶれた檀那を見捨てることでわかるように、慈悲にて助けるというのは、それは自己の名利のためにしていることであろう。」

これはなかなか手厳しい批判で、宣教師の中には他人の妻をはらませたものまでいることが、ほかのところに書かれています。当時の人種差別、西洋文明至上主義の態度を敏感に感じ取った様子が行間から感じられる。

また別の当時(秀吉の時代)の本の中には、「国土万物をつくりだす全能の存在が、いままで幾万万歳という時があったにもかかわらず、いまごろ日本へやってきて、何を証拠にでうすは南蛮国ばかりに登場したというのか。でうすが天地の主ならば、我が作り出したる国々を、脇仏たちにとられ、天地が造られてからよりこのかた、法を広めさせず、衆生を救済できなかったのはおおいなる油断があったと言うべきであろう」というような文書もあります。

これを読むにつけ、安土桃山時代の日本人というのは偉かったと私は思う。南米の銀山で多くの原住民たちが宣教師と軍隊によって強制労働させられ、死屍累々だったこと。カリブ海の島々で、宣教師たちに改宗をせまられ、拒んだものたちはほとんど根絶やしに殺されたことを思えば、日本が独立を守れたのは、あの時代、世界情勢をよく見れていたことによるのだと思うのです。また難破船の英国人、ウイリアム・アダムスなども、スペインの南米での残虐なやりくちをかなり克明に教えていたと言います。

秀吉が宣教師たちに書いた質問状のなかに、我が領民を牛馬のごとくに買い取り、海外へ売ったのはなぜか?と問い質した意味はきわめて大きいと私は思う。貧農の出だった秀吉は、はかりまちがえば、自分もそのように国外へ売りとばされていたかもしれない、と心底、身が震えるほど怒ったのでしょう。

リチャード・バートン主演の映画に「告解の罠」というのがありました。これはある寄宿制学校で、神父の教師が、生徒の犯罪を守秘義務の壁に阻まれ、とめることができず、連続で起きてしまう。

これと同様の告解と許しの問題をするどく追及した文書も残されています。こうした文書は南米やフィリッピンでは残されていません。当時、日本と言うのは、西洋文明が出会った中で、「かなり手強い文明であった」のだと考えざるおえません。フランシスコ・ザビエルは彼の日記の中で、日本では中国やヨーロッパでみるようなどん底の貧困と言うものをまだ見たことがない。こどもたちも貧しいながらも快活で、西洋にあるような本当の貧困というのはこの国には存在しないようだ、と述べています。

秀吉や家康が悪い奴だったなどと教える前に、そういう原書を手付かずで読ませて判断させる機会が増えたほうが良いと私は思うのでした。

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